道路問題について
昭和45年当時より、相模原市には道路の整備要請が殺到していました。
その中で、どうしても舗装できない道路が ありました。
債権債務の入っている広大な道路分です。
当時私小林みほ子は、当該地域で区長をし ていました。この道路は、本当に雨が降ると30センチもズブズブ靴がめり込むような道路でした。しかもこの道路の債権者は、やくざだと噂されて いました。
多くの地域の皆さんが、私の所に相 談に来られて、「私たちはやくざと対決できないので、小林区長さんに、代表になって頂きたい」と言われました。
皆様のたっての希望ではありますが、私 だって、その手の人がこわくないわけではありません。
その上、道路問題は必ず騒動になると言う のが私の長い間の経験でした。
お断りしましたが、「いかようなことがあっても、私たちがお頼みしていますし、誰も解決策を持っていません。、小林さんは、政治に必死に取り組んでお られるのですから、この問題も、私たちと是非一緒にやって下さい。」と、何度も言われました。
私 は、このような奉仕活動で何度も、うまくいくと潰しにかかる人がいることを知っていましたので、躊躇しましたが、本当にこの道路問題は誰がやっても大変な 問題と判っていましたから、政治を志す一人の人間として、このように必死で頼まれることについて、これ以上お断りすることもできませんでした。
「どんな困難に遭っても、一本の 木のように団結して、この道路 問題解決の日まで、必ず応援してください。どこでもあるように、途中で引き返したり、腰を折ったり、仲間割れしたりしたら、今までの道路問題の取り組みと 同じように成るから、きちんと約束してくれますね。」と、頼みに来られた、12,3人の方と堅い約束をかわしました。
そういうことで、私はこの債権債務を抱え る道路の代表者となり、何とかして舗装道路にしてあげたいと思い誠心誠意努力と協力をしました。しかし、なかなか債権者にご協力願 うことは難しいことでした。
本当にこの道行程は泣きたいほど辛かっ た。そのうち、私はとにかく道路の債権 者から、順次ハンコを集めていきました。
会ってお話を伺っていくと債権者が、やく ざなんて言ったら本当にいけないと思いました。
この債権者たちは、自分が担保を付けた土 地が現状道路になっているとは、当初は、全く知らなかったそうです。ただ、道路の所有者のTさんが、その書類を持って、お金を借りに来たので、気の毒だか ら貸したのだといわれました。
私たちは、善意が全く悪意の元で 話される事実を知りました。だから、債権者の気持ちも良く聞いて差し上げ、5人の債権者から小林みほ子宛に委任状を頂いて来ました。
それで、「さぁー、委任状が出来た。よ かったね。」と言い合っている矢先に、自治会から、道路は自分たちがO氏という議員と一緒にやるから手を引 けといってきました。びっくりしました。債権者から、長い行程をかけて、やっと今成果をあげたところです。この話を知って、自治会は案の場、その功績を引 き取るように圧力をかけてきたのでした。
私たちの悲しみが判っていただけるでしょうか?
片や、議員を押し立てて、私に対抗してく るのです。小林みほ子はついに一度も会合に 呼ばれることなく、自治会の会合で村八分状態にされていきました。最初に依頼に来た人達は、小林みほ子に道路舗装の代表者を無理矢理頼んだことも忘れてい ました。
そして、その人達の反旗が一番私たちにはこたえました。
自治会側では、全くないことをあるが如く 言いふらして、私たち4メートルで舗装をする道路委員会を壊滅させようと画策しました。
まもなく21世紀になろうとしている都会の自治会のできごとです。
しかし、私たちは、忍の一時でがまんしま した。出来るなら、私たちを巻き込まないで、自治会は、債権者から、委任状の印をとってくればいいのです。私たちの委任状をあてにしなければ何とでもなる でしょう。
しかし、自治会側で、委任状の印をとりに行くものは誰もおりませんでした。何もなさず私たちの悪口を羅列するばかりでした。
私たちの仲間のNさんがそんな自治会に見 切りを付けて、自治会をやめたいと言ってこられました。Nさんだけを火あぶりには出来ませんので、私も連名でやめました。自治会の理事会はそういうことで、 O議員の後援会になりました。
彼らは何もしません。ただ、私た ちを悪くだけいいました。
悪口に対して、私の申し開きの場所は一度も用意されませんでした。
もっと悪いことに「小林さん達を呼んだの に来ないのです。」とあたかも呼んだように集会の席でKという役員は報告しています。この情報は、常に彼らの会議に出席 していて、逐一報告してくれていた仲間の情報です。「呼んでいないじゃあありませんか。」と会議の席で反論したら、罵倒されその後は、敬遠されたそうで す。
勿論そんな中にあっても、正義は何かちゃんと見ている人もいましたが、
「火中の栗を拾うには、私は弱い。小林さん本当にごめんなさい」と、涙ながらに謝ってくれる人も沢山いらしたのですが、こと、相手 が自治会ですから、悲壮をきわめました。
しかし、とうとう舗装できるようになりま した。
私たちが、債権者の温かい協力の委任状を とりまとめることができ、相模原市に書類を提出し、受理されたのです。そのとき同行してくださったのが、Nさんでした。
この道路舗装のできる状態にし、債権債務 を解除の完成までをみとったのは、私とNさんでした。決して、自治会ではありませんでした。
解決までの時間が長い道のりであったため に、私達は村八分状態にまでなりましたが、政治を志向する故に歯を食いしばって頑張りました。
いつも心の中で、負けてはならない、いま放置するとこの道路は狭いまま完全舗装もできなくなると頑張ったのです。
この道路は相南というところにあって、道路舗装が完全にできるようになった今でも、ココを通ると、あんなに一生懸命で頼んだ多くの 人が、ある時豹変して敵の様になってしまった時の悲しいひとときを思いだします。