日本近代史の真実!和の精神が教えたもの。
歴史を語れ!日本近代史資料より
(この資料はインターネット
Yahoo! 知恵袋に投稿された知識からコピーしています。)

韓国の教育( 教科書など全てが出鱈目で捏造中)! 
不遜なロシアのごり押し(北方4島問題)!
その時日本語は大東亜共栄圏の共通語だった。対馬も竹島も日本領です。

質問 中学二年です。歴史の教科書に韓国を植民地化して日本史や日本語を教えて日本... kuremachisuk81さん

中学二年です。
歴史の教科書に
韓国を植民地化して
日本史や日本語を教えて
日本人と同化させたと書いてあります。
これって本当ですか?
小林よしのりさんの戦争論には逆に
ハングルを教えていたと書かれています。

どっちが正しいのですか?
教えてください。
あと、竹島って日本領ですよね。
韓国は対馬も韓国領といっています。
なぜ韓国は竹島を韓国領というんですか?
これも詳しく教えてください。

ソーシャルブックマークへ投稿: Yahoo!ブックマークへ投稿 はてなブックマークへ投稿 (ソーシャルブックマークとは) ベストアンサーに選ばれた回答nv2005anさん

大学で朝鮮史を取った者です。
中学の歴史では詳しくは教えていません。
日本は韓国を植民地化したのではありません。
日清戦争があったのは習いましたね。
日清戦争後に下関条約で清との間で韓国を独立させるとしたのです。
日清戦争では清は賠償として台湾を割譲して日本領土としました。
当時朝鮮(韓国)は1,000年に及ぶ中国の属国(奴隷)でした。
簡単に言うと中国の属国を離れる為に韓国側の要請で1910年に日本が併合したのです。
これは条約で推移され軍事力で侵攻したのではないので植民地ではありません。
日本と同じ立場での併合です。
当時伊藤博文(日本の初代の総理大臣)は反対をしていたのですが朝鮮(韓国)で
暗殺され併合が早まったのです。
朝鮮(韓国)は中国の属国であった為にハングルは使用できませんでした。
漢字が使われていました。
併合後に日本がハングルを発掘して日本語を教えるとともにハングルも教えるようにしました。
属国中は全てが無く併合時の状態は日本の奈良時代と同じ状態で建物は
藁葺き平屋、学校、病院、電気、産業等全てにわたりありませんでした。
日本政府の役人が朝鮮に行き(朝鮮総督府)あまりの酷さに驚いている事が
文献に残されています。
日本の国家予算で朝鮮(韓国)の国づくりをしたのです。
これは考え方によると同化と見れますが、、、あくまでも内地の日本人と同じように扱っています。
従って日本軍による虐殺行為はありません。
韓国で編成された日本軍(韓国人)は将軍も将校も出ています。
実際ノモンハン事変(日本とロシア・モンゴルとの局地戦争)では戦闘には
参加をしていませんが戦場の近くで待機をしていました。
太平洋戦争でも朝鮮で編成された軍隊が戦地に行っています。

日本が戦争に敗れても連合軍は朝鮮(韓国)には爆弾を落としていないのですよ。
朝鮮(韓国)は無傷で国を日本から貰ったのと同じだったんです。
ところが日本が負けると、とたんに自分達は戦勝国であると連合軍に訴え始めたのです。
終戦後連合軍は韓国に進出(今と大体同じ38度線ぐらい)してソ連の後ろ盾の
北朝鮮と対峙していたのです。
日韓併合の解消はうやむやになり米国から韓国は独立をした形になっています。
韓国の横暴さに連合軍は戦勝国でもなければ敗戦国でもない第3国としたので
いまだに3国人といわれる所以です。
この横暴さに連合軍(GHQ)のマッカーサーが頭に来て反共防波堤は日本までと
するとしたがため北朝鮮は韓国から連合軍が撤退すると思いソ連の許可を取り
南進したのが朝鮮戦争、原因は韓国側にあります。
韓国軍はぼろぼろに負け釜山まで追いやられ、後は海に叩き落される所まで行き
ようやく連合軍が上陸して現在の38度線で対峙しています。
戦争は終わっているのでは無く休戦状態で今日に至っています。
この朝鮮戦争が始まる直前に韓国軍は釜山に軍隊を集結させ対馬に侵攻する
準備をしていましたが朝鮮戦争が始まり侵攻出来ませんでした。
侵攻されていたら対馬で大虐殺が起きていたと思います。
逆に韓国軍は赤狩りと称して自国民を大量虐殺を行い1980年代まで隠し通していました。

竹島は江戸時代から日本が持っていて明治に入り島根県の一部となっています。
ところが日本が敗戦後に国際復帰をするサンフランシスコ条約が推移する直前に
韓国の初代大統領・李承晩が李ーラインを引き火事場泥棒をしたのです。
日本が弱っている間に取ってしまえ、と言うことです。
この竹島で味を占め最近は対馬も韓国領と言い始めており、事実韓国の議会で
議決される所まで来ています。

では国際的に韓国と日本はどのように見られているかと言うと、、、
問題はあるが日本が手のひらに韓国を載せ上手く操っていると見られています。
1997年に韓国は通貨危機で国が滅ぶところまで行きましたがIMF(国際通貨基金)
の緊急支援を受け日本が保証になり韓国を助けています。
戦後の韓国の経済は日本が援助して今日に至っています。
日本が無ければどうしょうもないと、と言う事です。
韓国人は国際的にコリアン・ジャパニーズと呼ばれています。

残念ながら韓国は反日政策、反日教育を国の方針でやっています。
教科書など全てが出鱈目で捏造ばかりです。
見よう見方では面白い国で日本人の解釈では到底理解できません。
経済も日本が無ければ成り立たない状態です。
犯罪が多く、特にレイプ事件が多いのには驚かされます。
当方の娘(大学生)は絶対に韓国には旅行であっても行かせることはしません。

最後にどうしても理解できないのは、戦後韓国の国旗はなぜ今の国旗を採用したのかです。
韓国の国旗は中国の属国を現す国旗なんです。
詳しくは「大清国属 高麗国旗」が原型ではっきり属国が書かれています。
北京オリンピックで韓国の国旗が掲揚されたとき中国人は何を思っていた事でしょう。


よく分かりました。ありがとうございます。
やはり韓国併合はただしっかったんですね。
ベストアンサーに選ばれた方、
選ばれなかった方も
長文お疲れ様です。 コメント日時:2008/9/26 21:56:33
pipin_pipupipuさん

日本語も教えていたけど、ハングルも広めました。
韓国は日本領だったので、日本政府は日本人と韓国人の扱いに
差を作らないように努力するのは当然であり、
これを同化政策というのはちょっと微妙。

なお日本語は大東亜共栄圏の共通語という
大日本帝国の構想があったたので、韓国や台湾のほかにも
パラオや戦争中のインドネシアなど大日本帝国の勢力下にあった全ての国で
学校の勉強に取り入れることを当時は義務化してましたが
大日本帝国は現地の言葉の読み書き教育も推奨していました。

日本の教科書には、嘘を付かない程度の最低限度のことしか書いていません。

当時の韓国は、糞尿にまみれた貧民国家だったので、そもそも国民は識字率(読み書きソロバン)の基礎知識すら国民にない状態だったんです。 それで、統治することになった日本は、ハングル語と日本語を学校を作り、教科書を作って教えることにしたんです。土民を先進国家にするために、日本が人肌 脱いだんですよ。

それと、竹島ですが、正直言って、日本(江戸幕府)も、韓国王朝 も当時はこんな島どうでも良かったんです。ただ日本が韓国を併合した時に、境界をはっきりしないといかんということで、竹島までを日本と線引をしたんで す。北方領土も同様(韓国もこの時点では、あっそう ぐらいの反応だった)

ところが、第二次世界大戦で日本が、無条件降伏をしたときに、日本領土を略奪する絶好のチャンスが到来した、下品な、ソ連(現在のロシア)は、無条件降伏 をしたとたんに、宣戦布告をして、北方4島を略奪(あわよくば 北海道も狙っていた) 日本国のはずであった韓国も真似をして、突如手のひらを返して、「竹島」「対馬」と略奪しようとするも、アメリカに一喝されたが我慢できず、離れ小島目の 届かない竹島を武力で強奪して現在に至る という訳

竹島にしても 北方4島にしても 当時の2国間で決まっていた境界であって、ロシアも韓国も武力で分捕っておいて理屈は跡付けでアレコレ言っているだけなんですよ。

ロシアの言い分 対馬列島は 俺のもんだ 北方4島は俺のもんだ
→千島列島から 2島はずれているから 列島じゃないだろう その理屈だと 本土から台湾まで、ロシア領になるな‥

韓国の言い分 古地図がどうだ、対馬は古代に韓国に貢物をしていたから 俺の領土だ‥
→古問書持ち出しての論争自体が、的外れ、借りにしても、日本には膨大な資料があるから韓国は負けるし、古代に貢物をしていたから韓国の領土だというなら 1000年間 中国に貢物をしていた韓国は中国領だろう‥

まあ 暴力で分捕っておいて、アレコレ言う理屈なんてろくなもんじゃないんですよ

それと 第2次世界大戦で負けた日本は、とにかく近代史 100年間で日本がやった良い事を、教える事を一切禁止された名残が現在でも残っているんで、あんなさしさわりのない教科書の記述になってしまうんです ね‥

http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

↑真実が書かれています、時間がかかりますがじっくり読んでください。 そうしてそのあと、教科書を読んでください、嘘を付かずなおかつ真実が分らないよう絶妙な差しさわりのない文章で書かれているのがよく分りますよ。

 違反報告 回答日時:2008/9/25 23:56:11 
竹島が日本領だと激しく抗議しないのは
過去日本が朝鮮を侵略して多大な迷惑を掛けたという
トンチンカンな歴史観で染まった政治家、官僚が多いからですよね? wvvidlmnaajiさん



ソーシャルブックマークへ投稿: Yahoo!ブックマークへ投稿 はてなブックマークへ投稿 (ソーシャルブックマークとは) ベストアンサーに選ばれた回答versace_b_jeansさん

当時の半島が独立国家だという勘違いしている方が多いですね、事実を認める勇気をもちましょう
そして植民地では無く併合であり、同民化政策であり、脅迫とありますが以前、韓国が日本の植民地支配の不当性といった議題で世界的な学者を集め認めさせよ うとしましたが、逆に正当性が認められた結果となりました

しかし併合に関しては反対者も多く(伊藤博文・福沢諭吉ets)結果的には彼等の主張が正しかったとおもいます
もっとも声高に反日を叫び被害の妄想を主張される方の多くは、併合以前を知らない想像から理想化するような教育を受けていればこそ、ハンガンの奇跡は独自 で成し遂げられた(大学教授)のような事が信じられても仕方なく思います

竹島に関して韓国の領土とするのは無理があり、独島資料館でしたっけ?に展示されている地図も島の位置が意図的にずらされている事実からも、まともに対処 するつもりもないのでしょう
細かい事を挙げたらきりが無いですが、もしきちんとした理由があるのなら武力制圧など何故したのですか?(もしかしたら韓国はしてもよいと?)
日本が破れ武力行動を起せない事を良い事に強盗みたいな真似をして、併合時も歪曲ですか?
もし正しいのならハーグに何故出廷しないのでしょうか?
まぁキミタチの本質は判っていますから、死ぬまで妄想していてください。


そして質問に答えるなら、yesそして付け加えるなら全方位外交からともいえます
ttp://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea1.html

 違反報告 編集日時:2007/6/30 14:06:31 回答日時:2007/6/30 13:58:42
最新!「南京事件」関連資料 http://www.history.gr.jp/~nanking/new.html
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写真集「レイプ・オブ・南京」さらに2枚のニセ写真発見
「南京事件」当時、日中戦争を取材 米記者の著書に虐殺の記述なし
アイリス・チャンを葬送する(産経新聞98・08・08斜断機より
「史実わい曲」新たに2枚 「レイプ・オブ・南京」疑惑写真
ピースおおさか 偏向展示 新たに11ヵ所「誤解与える」と修正、撤去
写真集「レイプ・オブ・南京」さらに2枚のニセ写真発見
新たに3枚 疑惑写真 「レイプ・オブ・南京」・・証拠なし?・・創作?
中華民国の公式文書「4万人説」削除
「レイプ・オブ・南京」また事件と無関係写真
写真集「レイプ・オブ・南京」「反日宣伝用」を掲載、米やらせ映画の場面
同じ登場人物やらせで撮影写真集「レイプ・オブ・南京」
"慰安婦" 実は "農婦" 米有力紙 写真の改ざん指摘
南京事件の新著 著者の中国系米国人 日本の謝罪と補償 米の外圧狙う
レイプ・オブ・南京 修正せず日本語版刊行へ
レイプ・オブ・南京 日本語版刊行を中止
朝日新聞回答書「誤報」指摘は認めず
日本政府に賠償要求決議「南京大虐殺」が独り歩き?
1930年代、日本世界制覇野望の証拠「田中上奏文」偽造はソ連?
「ザ・レイプ・オブ・南京」シンガポールでも論争
産経新聞記事より(2000・1・18)
産経新聞記事より(2000・1・19)
東史郎裁判決着!(産経新聞記事より2000・1.22)

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「南京事件」当時、日中戦争を取材
米記者の著書に虐殺の記述なし


昭和12年(1937年)12月の南京事件の当時、南京に近い上海に駐在し、日中戦争を取材していた米国人記者が書いた著書に、同事件に関する「虐殺」を うかがわせる記述が全く無いことが、12日までに分かった。
著書は南京での日本軍の行動について、日本海軍の爆撃機が誤って米艦を爆撃、日米間の外交問題に発展した「パネー号事件」を中心に書かれており、当時の日 本軍が「20万」「30万」もの中国軍捕虜や南京市民を虐殺したとされる「南京大虐殺」は戦後の作り話であることが改めて確かめられた。
この本は上海イブニング・ポスト紙のジョージ・ブルース記者が書いた「上海の宣戦布告なき戦争」。
1937年8月8日から12月20日まで上海に駐在し、出来事を日記風に書き留めたもので、同年12月に初版本が出版された。
日付など細かい点に誤りはあるものの、上海を拠点に
≪新事実の多くは自分の目で見たもののほか、中立的な新聞のスタッフ、通信社電などから収録≫(序文)し、毎日の動きを克明に追っている。
日本軍の南京総攻撃が開始された12月10日
≪南京では激しい戦闘が続いた。日本軍は街を防衛する人に無慈悲に砲撃を加え、数機の戦闘機が市中心部に数千ポンドの爆弾を投下した≫
南京が陥落した同月13日
≪荒れ狂ったような南京戦は続いているが、日本軍は市の南部を完全に支配下に置いた。中国軍は北方に退いている≫
「南京大虐殺」を主張する東京裁判の判決や中国側発表によると、激しい虐殺が行なわれたのは陥落翌日の14日から松井石根(いわね)大将(東京裁判で虐殺 の責任を問われ、死刑判決)らの入城式が行なわれる前日の16日にかけての3日間とされる。
だが、この間の記述も含め、ブルース記者の著書には、「虐殺」を意味する「Atrocity(アトロシティー)」「Massacre(マサカー)」といっ た文字は1回も現われない。
14日以降は連日、パネー号事件についての記述に多くのスペースを費やし、被害者の名前やけがの程度などについて詳細に書いている。
ブルース氏の著書は初版本の後、翌1938年までに4版を重ねている。「大虐殺」が伝わってくれば、版を重ねる際に加筆・訂正することも充分可能だったは ずだ。
南京事件に詳しい防衛研究所戦史部の原剛・主任研究官は「日本軍の行き過ぎた殺害行為はあったが、組織的なものではなかった。虐殺の記述がないのは、上海 に詳しい様子が伝わらなかったためとも考えられるが、当時の米国人には、パネー号事件が最大の関心事だったことを示している」と指摘する。(産経新聞・夕 刊、平成9年7・12この記事は産経Webでも見れます。)


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「史実わい曲」新たに2枚
「レイプ・オブ・南京」疑惑写真

中国系米国人ジャーナリストのアイリス・チャン女史が著した米国のベストセラー「レイプ・オブ・南京」の検証を進めている藤岡信勝東大教授(自由主義史観 研究会代表)ら学者グループは12日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見し、同書の中に史実をゆがめる写真が新たに2枚発見されたことを明らかにす るとともに、南京事件の真相を追究するためにチャン女史を交えたシンポジウムを開催すると発表した。

学者グループ批判著者招き8月シンポ計画

会見には藤岡教授のほか、中村あきら獨協大学教授(昭和史研究会代表)、東中野修道亜細亜大学教授ら計4人の研究者が出席。
「自国の歴史がわい曲され、うそによりおとしめられているのに、政府は何ら反論しようとしない。このため民間研究者が日本の立場を世界に発信しようと考え た」と会見の目的を語ったうえで、写真や地図、当時の証言などを交えながら「レイプ・オブ・南京」の史実の誤りについて評論した。
この中で中村教授は@南京事件発生の第一義的責任が中国にあったA市民に紛れ込んだ中国軍の便衣兵を処分する際、市民を誤って殺害した可能性があるB日本 軍の南京入城後に市民生活が急速に改善した―ことなど、6つの点を挙げてチャン女史が主張する30万人の市民の大虐殺を否定した。
さらに南京事件の真相を探るため、8月8日に講演会や映画の上映、討論会などを交えたイベントを予定、チャン女史にも出席依頼の招待状を送付したことを明 らかにした。
会見には内外から約30人の記者が出席、熱心に耳を傾けた。

●揚子江岸の市民の死体→戦死か溺死した兵士
●犠牲者の斬首→「南京」とは無関係の事件
藤岡教授がキャプションの誤りや、すり替えがあると指摘した2枚の写真はチャン女史がキャプションで「南京市民の死体は揚子江岸まで引きずられて行き、河 に投げ込まれた」とした写真(下)と「南京事件の犠牲者の斬首」とした写真(上)。
揚子江の死体の写真は日中戦争に従軍した元兵士の故・村瀬守保氏が撮影したものとされており、村瀬氏の「私の従軍中国戦線」(日本機関紙出版センター)に も載っている。
藤岡教授が同じ南京戦に従軍し砲兵隊に所属した元兵士に確かめたところ、撮影場所は画面から揚子江岸の新河鎮と確認されたが、画面に写っているのはチャン 女史が述べているような民間人ではなく兵士の死体と判明。
戦闘で形勢が不利になった中国兵が、裸になって一斉に飛び込んだ結果、戦死やおぼれ死んだ写真で、村瀬氏が戦闘後、撮影したことがわかった。
また、斬首写真はチャン女史と同じ中国系米国人で同女史の執筆に影響を与えた史詠氏の同タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」が「1984年8月4日付 の朝日新聞で報道され、南京戦従軍兵士の遺物の中からこの写真が見つかった」として使っていた。
ところが、朝日新聞にはこの写真は使われておらず、別の生首写真が掲載されていた。
さらに掲載された写真も後に「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と記された写真が見つかり、同紙が「南京虐殺とは無関係」として記述を取り消した。
国民党政府が馬賊を処刑した写真は中国大陸で広く出回っていたもので、戦後、南京事件とは無関係だったにもかかわらず、南京事件や平頂山事件、さらには 「北間島での虐殺事件」などさまざまな「証拠」として幅広く使われている。(平成10・6・13産経)


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ピースおおさか 偏向展示 新たに11ヵ所
「誤解与える」と修正、撤去

出所不明のニセ写真などが使われたとして、昨年6月、3点の展示が差し替えられた大阪市中央区の戦争博物館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」 (館長、勝部元・元桃山学院大学長)で、新たに11ヵ所の偏向展示が30日までに判明し、修正や撤去が決まった。
撤去が決まったのは「上海爆撃・・・泣き叫ぶ子供」「米の配給に群がる市民たち」の2点。
「上海爆撃・・・」の写真は中国系米国人が撮影、米国の雑誌「LIFE」に掲載された。「日本海軍の艦載機の爆撃で破壊された上海南駅で泣き叫ぶ乳児の写 真」とされているが、爆撃後の市街地に乳児が1人だけでいる様子は「不自然」と判断。
「米の配給に・・・」は終戦後、王立空軍による東南アジアでの米の配給の様子を展示した写真だが、占領時と誤解を与えると判断された。
説明を変えたのは鉄条網のバリケードに打ち付けられた斬首の写真など4点。「みせしめのため、野ざらしにされた斬首」と決め付けられているが、ピースおお さかが出典としてあげた写真集「平和にたいする罪」(太平洋出版社刊)には「日本軍による南京攻略後、城外の鉄条網の上に置かれた中国軍の首」としか記さ れていなかった。
さらに、毎日新聞社刊「一億人の昭和史3 太平洋戦争」には「日本軍の進駐を見つめるジャワ島の人々」とだけ解説された写真が、展示では「日本軍の進駐を不安そうに見つめる市民」と変えられたう え、「占領後1ヶ月、街を行く兵士たちの表情は明るいが・・・」と付け加えられていた。
同様に、出典では「日本人母子の犠牲者」となっていた表記が、展示では「『殺してくれ』と日本兵に頼み、自決した住民」と変わった写真も見つかり、特攻隊 の出撃の様子を展示した写真では、出撃基地が「知覧基地」にもかかわらず「調布基地」と誤って表記されていた事が分かり、修正を決めた。
このほか、解説パネルには、確定していない平頂山事件の犠牲者数や慰安婦の数などが表記されており、これら5ヵ所の削除や修正が決められた。
今回の措置について、ピースおおさかは「誤解を与えない客観的な表現に改める」「今後も引き続き点検を行う」としている。
一方、偏向展示を正す運動を続けている市民団体では「展示姿勢がいかにずさんであるかが明らかとなったが、ピースおおさか側からは謝罪も一切なく、責任も 明確にされていない。展示姿勢の根本も正されておらず、問題は残っている」と話している。

米でも南京事件の誤用写真

米国で反響を呼んでいる中国系アメリカ人の著作「レイプ・オブ・南京」にも、岩波新書の「南京事件」に使われたのと同じ「農作業から帰る中国人女性」の写 真が使われ、岩波と同様、実際の光景とは逆の「日本軍による強制連行」をにおわせる写真説明をつけていることが分かった。
「レイプ・オブ・南京」は中国系アメリカ人のジャーナリスト、アイリス・チャン女史の著作で、米国では昨秋(平成9年)刊行され、日本にも最近入ってき た。
「第二次大戦の忘れ去られたホロコースト」という副題がついている。
問題の写真はその本のちょうど真ん中あたりに集中的に掲載された写真の中の一枚。
中国人女性たちが銃を持った日本兵と歩いている光景で、≪日本人は何千人もの女性を狩り立てた。彼女らのほとんどはレイプされたり、軍の売春施設に無理や り連行されたりした・・・≫と言う写真説明がつけられている。
これと同じ写真は昨年11月に刊行された笠原十九司・宇都宮大教授の著書「南京事件」(岩波新書)の第3章の扉のページにも掲載され、≪日本兵に拉致され る江南地方の中国人女性たち・・・≫という似かよった写真説明がついているが、秦郁彦・日大教授の調査により、同じ写真が「アサヒグラフ」(昭和12年 11月10日号)や「支那事変写真全輯〈中〉上海戦線」(昭和13年3月刊行)では次のような逆の意味の写真説明になっていることが判明している。
アサヒグラフ≪我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の子供の群≫
支那事変写真全輯≪夕になれば白一面の綿の花畑から喜々として我家へ帰る≫
チャン女史の「レイプ・オブ・南京」も岩波新書の「南京事件」同様、同じ写真が転々とする過程で、日本軍のイメージをことさら悪く印象づけるため、写真説 明がわい曲された疑いが強い。
「レイプ・オブ・南京」にはほかにも、男性の生首や女性の暴行シーンなど出所の疑わしい写真が何枚も掲載されている。
本文も、中国共産党による洗脳の疑いが強い中国・撫順戦犯管理所での供述書や日本で名誉き損訴訟を起こされている元日本兵の従軍日記などが引用文献に使わ れるなど、信ぴょう性に乏しい記述が多い。(産経・H10・3・3)


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写真集「レイプ・オブ・南京」
さらに2枚のニセ写真発見
「略奪の報酬」実は「民衆から買った鶏」

 中国系米国人、アイリス・チャン女史(30)のベストセラー「レイプ・オブ・南京」では史実を曲げたり、ニセ写真が多数見つかっているが、同 書の編集に影響を及ぼした同タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」(史詠ら著)からさらに2枚、ニセ写真が見つかった。
同書の検証を進めている自由主義史観研究会の藤岡信勝東大教授らのグループの調査で15日までに分かった。
チャン女史はこのうちの1枚を使っており、これで著書「レイプ・オブ・南京」のわい曲写真は計8枚となった。
問題の写真のうち、1枚は写真集の第1章「南京への路」の17ページに掲載された。
肩から2羽の鶏と銃を携えた笑顔の日本兵を写した写真で、キャプションは「略奪の報酬」と添えられている=写真(左)(下は点線内の拡大等)。
ところが、この写真は朝日新聞社が昭和12年12月5日発行した「週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊」の「支那事変画報第9輯」の巻末に掲載されており、写 真撮影者は同社特派員。撮影日時は10月29日で場所も京漢線豊楽鎮。
キャプションは「支那民家で買い込んだ鶏を首にぶらさげて前進する兵士」。史詠氏らが記したような「略奪」の証拠ではなく、民衆から買ったものとわかっ た。
もう1枚はチャン女史の著書にも使われた揚子江岸に死体が並ぶ写真(右)。チャン女史は「南京北郊外の下関河岸でおびただしい死体の山が処分のため積み重 ねられている」とキャプションを付け、掲載した。
この写真は元従軍兵の故・村瀬守保氏が撮影したものとされ、村瀬氏の写真集「私の従軍中国戦線」(日本機関紙出版センター)にも載っている。
昭和58年、毎日新聞も「南京大虐殺これが証拠写真」として紹介したことでも知られている。
しかし、藤岡教授らが南京戦で砲撃隊に所属した元兵士に確かめたところ、並んでいる死体はチャン氏らが主張する市民の死体ではなく、戦闘員の写真と証言。
撮影場所は揚子江にある新河鎮から下流にある下関または三叉河とみられる。
新河鎮戦の形勢が不利になり、一斉に河に飛び込んだ中国兵の戦死体または水死体が河に沿って流れ、河岸に一定方向に積み重なったものとわかったという。
史詠氏はアメリカ在住のジャーナリストで、全米でベストセラーになったチャン女史の「レイプ・オブ・南京」の編集にも大きな影響を及ぼした。チャン女史が 著書に使った写真のほとんどがこの写真にも使われている。
藤岡教授は「チャン女史、史詠氏の著書には記述の誤りが多いうえ、特に写真はほとんどが出所不明で歴史の偽造が目立つ」と批判している。(産経・H10)


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新たに3枚 疑惑写真
「レイプ・オブ・南京」・・証拠なし?・・創作?

米国で話題となっている中国系米人ジャーナリスト、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」には、“慰安婦の強制連行”の誤用写真以外 にも、信ぴょう性の疑わしい写真が何枚も使われていることが14日、自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝東大教授)のプロパガンダ写真研究会や本紙の調査 で分かった。現在までに、新たに3枚の写真で疑惑が浮上している。(安藤慶太)

1枚はバリケードの上に、たばこをくわえた男性の生首が置かれている写真(1)。チャン女史は≪南京郊外の有刺鉄線のバリケードに中国人兵士の頭が置かれ た。彼の唇の間には冗談のようにたばこの吸い殻が差し込まれた≫と説明をつけ、入手先を「日中戦争の真実を忘れない会」としている。
しかし、この写真は“大虐殺派”の立場に立つ「南京大虐殺の現場へ」(朝日新聞社)という本にも使われ、同書も≪「南京事件の証拠」とすることには大きな 危険があると言わざるを得ない≫と慎重な判断にとどめている。
また、同じ写真を大阪国際平和センター(ピースおおさか)も≪みせしめのため、野ざらしにされた中国

人の斬首≫と説明をつけて展示していたが、今年3月、説明を≪日本軍による南京攻略後、城外の鉄条網の上に置かれた中国人の首≫と差し替えている。
この写真を最初に掲載した米国の雑誌「LIFE」の1938年(昭和13年)1月10日号では、≪徹底した反日家だった中国人の首が南京陥落直前の12月 14日に南京城外の鉄条網のバリケードにくさびで打ち付けられた≫と説明しているが、南京陥落(12月13日)の前後を間違えるなど当初から疑問を持たれ ていた。
2枚目は兵士が男性を座らせ、刀を振りかざしている写真(2)。
チャン女史は「台湾政府軍事委員会政治部」から得たとして、≪南京において日本兵はスポーツのように殺人を行った。後ろにいる日本兵のほほえみに注目≫と いう説明をつけている。
しかし、この写真については、ノンフィクション作家、鈴木明氏がすでに、大宅賞受賞作「南京大虐殺のまぼろし」(文藝春秋)の中で、「虐殺の証拠とはいえ ない」と疑惑を指摘している。
3枚目は2人日本軍少尉の“百人斬り競争”を報じた昭和12年11月の東京日日新聞(現・毎日新聞)の記事を複写した写真(3)だが、この記事が創作だっ たことは記者に同行したカメラマンらの証言で明らかになっている。

“偽り”の裏付け次々と

 「レイプ・オブ・南京」には計30数枚の写真が使われているが、これまでに2枚の写真について、疑惑が指摘されている。
1枚はチャン女史が「台湾軍事委員会政治部」から入手し、≪日本軍は何千人もの女性を狩り立てた。大多数がレイプされるか、軍用の慰安婦にさせられた≫と いう説明をつけている写真(4)。
しかし、秦郁彦日大教授の調査により、最初にこの写真を掲載したアサヒグラフ(昭和12年11月10日号)では「硝煙下の桃源郷江南の『日の丸部落』」と いう題で、≪我が兵士に援られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ≫と、全く逆の説明がつけられていたことが判明している。
同じ写真は笠原十九司・宇都宮大教授の著書「南京事件」(岩波新書)にも使われ、≪日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち・・・≫とチャン女史とよ く似た説明をつけていたが、秦教授の指摘で岩波書店では全面謝罪し別の写真に張り替える措置を取っている。
もう1枚は戦車が火炎放射器で民家に火を放っている写真(5)だが、東中野修道・亜細亜大学教授により、写真の戦車は昭和13年以降生産された「97式軽 装甲車」で、南京戦当時は使われていない。
この戦車には火炎放射器は装備されていない―など、合成写真である疑いが強まっている。

チャン女史、対日批判繰り返す

チャン女史は出版後、全米各地で講演会を開催、対日批判を繰り返している。
3月21日、ロサンゼルス・西ロサンゼルスパブテスト教会では、「皆さんには簡単にできる2つのことをしてほしい」と呼びかけ、「レイプ・オブ・南京」の 学校や公共図書館への納入運動と、日本の謝罪と補償を求める「リビンスキー法案」への支持を訴えた。
リビンスキー法案は下院民主党のウイリアム・リビンスキー議員が昨年、下院に提出したもので、正式名称は「従軍慰安婦、731細菌部隊、南京虐殺に関して 日本政府に謝罪と補償を求める法案」。
チャン女史は(1)日本軍は南京占領で中国人民間人30万人を殺した。(2)日本政府はこの事実をもみ消し、教科書にも載せないため、日本国民は虐殺を知 らない。(3)日本政府は謝罪も賠償も一切していない―などとして同法案を支持、米議会に公聴会の開催を訴えている。
また、「レイプ・オブ・南京」について「内容が不正確で一方的」と批判した斎藤邦彦駐米日本大使にも攻撃を繰り返している。
(産経H10・5・15)


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中華民国の公式文書「4万人説」削除
南京事件ベイツ・メモ

 南京事件(昭和12年12月―13年初め)で「4万人が殺された」とする南京在住の米国人宣教師、ベイツ博士のメモが当時の中華民国の公式文書「チャイ ニーズ・イヤーブック 1938―39」に収録された際、「4万人殺害」のくだりが削除されていたことが東中野修道・亜細亜大教授の研究で分かった。この 「4万人説」が消されたことが後に、「20万」「30万」といった誇大な犠牲者が一人歩きする一因になったとみられる。

 チャイニーズ・イヤーブックは、前政府外交部顧問(当時)の徐淑希・燕京大教授が委員長を務めていた中華民国の国際問題委員会の公式資料から作成され た、いわば中華民国の公式見解。徐氏は、満州事変の国際連盟調査団中国代表処専門委員も務めた。
 ベイツ博士のメモは「日本軍が不法に処刑した」という中国人の話をもとに1938年(昭和13年)1月25日に書かれたもので、「非武装の4万人近い人 間が南京城内や城壁近くで殺された。3割は兵士でなかった」という内容。
 このベイツ・メモは、中国・上海のオーストラリア人ジャーナリスト、ティンパーリー氏のもとへ送られ、ティンパーリー氏が同年7月に出版した「戦争とは 何か」の第3章に盛り込まれた。
 しかし、東中野教授が調べたところ、チャイニーズ・イヤーブックはベイツ・メモを収録する際、その核心部分である「4万人殺害説」を削除したほか、「3 千体が大量処刑のあと積み重ねられたり並べられたりしたまま放置されていると埋葬グループは報告している」という記述も削除していた。
 また、同じころ出された徐氏の編著「日本人の戦争行為」「要約・日本人の戦争行為」「南京安全地帯の記録」の3冊にも、ベイツ・メモが再録されながら、 「4万人説」が削除されていることが分かった。
 南京事件については、東京裁判認定の「20万」、戦後中国が発表した「30万」という誇大な犠牲者数が教科書などで独り歩きしているが、東中野教授は 「ベイツ博士の4万人虐殺説も水増しの疑いが強いが、その4万人虐殺説でさえ公式記録から削除され、一度も追認されなかった。
 『南京虐殺』は4等、5等史料によって成り立っていることがはっきりした」としている。
 東中野教授はこの発見を含め、南京事件当時の外国語文献を比較検証した研究成果を『「南京虐殺」の徹底検証』という本にまとめ、近く展転社(Tel  03・3815・0721)から出版する。(産経H10・7・29)


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「レイプ・オブ・南京」また事件と無関係写真
パネー号撃沈 掲載写真は別の船

 史実のわい曲や誤りが多数指摘されている中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」に戦争中、旧日本軍によって沈没 させられたアメリカの砲艦「パネー号」として使われた写真は全く別の写真だったことが21日までの自由主義史観研究会(会長・藤岡信勝東大教授)に設置さ れたプロパガンダ写真研究会の調べでわかった。研究会ではこれまで進めてきたチャン女史の著書への検証作業を、26日に東京都内で開かれる「反撃集会」で 発表する。

 今回、明らかとなったはチャン女史が《12月12日、日本海軍は南京近くの揚子江に浮かぶ米国の砲艦パネー号を撃沈した。同号は西洋諸国の外交官、 ジャーナリスト、実業家、避難民で一杯だった》とキャプションを付けた写真。
 沈没寸前のパネー号の様子として紹介されているが、画面が不鮮明な上、写っているのは甲板から上の部分のみで、下の部分は無い。チャン女史はワシントン の国立公文書から入手したと記しており、同じ中国系アメリカ人のジャーナリスト、シ・ヨン氏らの共著で出された同タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」 にもパネー号として使われている。
 しかし、奥宮正武氏の著書「私の見た南京事件」(PHP研究所)に使われたパネー号の写真は全く別の形をしておりチャン女史が使った写真は「分かりやす い日中戦争」(光人社発行、三野正洋日本大学講師著)によると、第二次上海事変が起きた直後の昭和12年9月23日、日本海軍機の攻撃で揚子江で撃沈さ れ、引き揚げられたあと日本海軍の「五百(いお)島」となった中国海軍の「寧海」と判明。
 パネー号事件とも南京事件とも無関係な写真とわかった。「レイプ・オブ・南京」にからむ疑惑・わい曲写真は合計9枚となった。
(産経新聞・平成10年9月22日朝刊より)


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写真集「レイプ・オブ・南京」
「反日宣伝用」を掲載、米やらせ映画の場面

 史実のわい曲や誤りが指摘されている中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」と同じタイトルの写真集「レイプ・オ ブ南京」(史詠氏著)に使われた赤ん坊の写真は、米国の反日宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」に写っていることが、25日までの自由主義史観研究会(会 長・藤岡信勝東大教授)に設置されたプロパガンダ写真研究会の調べでわかった。研究会では今日26日、これまで進めてきたチャン女史の著書への検証作業 を、東京都内で開かれる「反撃集会」で発表する。

 今回、明らかになったのは≪1937年8月28日正午、日本軍は上海南駅に爆撃を行い、待合室にいた200人あまりの人が亡くなり、けが人多数を出し た。爆撃の後、血を流し泣きながら赤ん坊が1人残された≫とキャプションを付けた写真。
 入手先は米国の雑誌「ライフ」となっており、この写真の発表について同書では≪この写真は世界中を駆け巡り、日本の侵略による残虐行為に対し世界中から 非難が集まった≫と説明している。
 この写真はライフ1937年の10月4日号に掲載され、同じ年のアメリカ雑誌「ルック」にも掲載された。しかし、ルックの写真では赤ん坊の横に男性と子 供が立っている光景が写っており、ライフでは横の男性がカットされ、がれきに1人取り残された痛ましい姿のみが強調されている。
 写真は”日本の侵略”を批判するさいに再三、登場するが、大阪市にある戦争資料館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」では「上海爆撃 泣き叫ぶ 子供」と題して展示してきたが、「爆撃後の市街に赤ん坊1人だけでいる姿が不自然」として撤去された経緯のある、信ぴょう性に疑問が指摘されていた。
 さらに米国で反日宣伝の目的で作られたやらせ映画「バトル・オブ・チャイナ」には、大人の男性がこの赤ん坊を抱きかかえ駅のホームから線路に運ぶシーン が出てくる。プロパガンダ写真研究会では「反日宣伝のやらせ写真を撮影するために現場を演出している課程が映像に写った」と判断し、今後もプロパガンダ写 真の調査を続ける方針だ。(産経新聞・平成10年9月26日朝刊より) 


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同じ登場人物やらせで撮影
写真集「レイプ・オブ・南京」

  中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)が出したアメリカのベスト・セラー「ザ・レイプ・オブ・南京」に反論する集会「『南京大虐 殺はなかった!』〜アイリス・チャン『レイプ・オブ・南京』はいかに歴史を偽造したか」(主催・自由主義史観研究会、会長・藤岡信勝東大教授)が26日、 都内で開かれた。
集会では同書の史実のわい曲や誤りが多数指摘され、同一タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」(史詠氏著)に使われた四枚の残虐写真について、同じ登場 人物が入れ代わり立ち代わり撮影された”やらせ写真”であることが、新たに明らかになった。
 

都内で反論集会 意図的に入れ代わり
自由主義史観研「反日目的」…追求へ

  

 問題の写真は、中国人を柱に縛り付け銃剣を突き付けたり、首を出した農民に刀を振りかざした光景などを写した4枚。
 いずれも「日本軍が中国の市民を捕まえ刺殺の練習台に使い惨殺した」と、南京虐殺の証拠として掲載されている。
4枚を並べると写真(1)で刀を振りかざしている男性は写真(3)の左から2番目と同じ人物。
(1)で切り付けられている男性も(3)で銃剣を突き付けられる右端の男性と同一と判明した。
写真(2)で左端にいる中国人男性は写真(3)の右から2番目と同じで、写真(2)の背後にいる男性は写真(4)で首に切りつけられた跡のある男性と同じ だ。
 このうち、(1)で切りつけている男性はメガネを掛けておらず、靴も長靴を履いているのに対し、(3)ではメガネを掛け、チャニーズシューズ風の履き物 に履きかえていた。
また、写真に登場する人物はいずれも薄着のうえ、背景に写っている壁なども南京の光景とは一致せず、このうち2枚の写真は、シンガポールで出版された華僑 の抗日英雄「リム・ボ・セン」の伝記で、日本軍がシンガポールで行ったとされる「憲兵隊の蛮行」として使われていることも分かった。
 調査を行った自由主義史観研究会に設置されたプロパガンダ写真研究会では「チャン女史の著書には史実のわい曲や誤りが多数指摘されているが、この4枚の 写真は同じ場所で同じ人物を入れ代わり立ち代わり登場させる形で、意図的に撮影された反日目的のやらせ写真だ」と批判、今後も、追求を続ける方針だ。
(産経新聞・平成10年9月27日朝刊より)


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"慰安婦" 実は "農婦" 米有力紙 写真の改ざん指摘

「レイプ・オブ・南京」


【ワシントン5日=古森義久】米国の有力新聞が米国内でなお話題となっている南京事件に関する書「レイプ・オブ・南京」の写真の誤用や記述の過ちを詳しく 指摘する長文の記事をこのほど記載した。とくに同紙は同書が「日本軍が中国女性を慰安婦にするために強制連行する光景」として紹介した写真が実は日本軍に 守られて農作業に出かける中国側女子の友好的な光景の写真であることを明らかにし、中国側で手が加えられる前の本来の写真を米国のマスコミとしては初めて 大きく掲載した。
 米国西海岸の有力新聞のサンフランシスコ・クロニクルは7月26日付の日曜版特集で2ページにわたり「記憶の戦争」と題し、アイリス・チャン著の「レイ プ・オブ・南京」に関する長文の記事を掲載した。日米関係や米中関係に詳しい同士のベテラン記者のチャールズ・バレス氏によって書かれたこの記事は、同書 の米国内での反響や著者のチャン氏の活動ぶりに光をあてる一方、日本側での反響をも多角的に報じている。
 同記事はその中で南京事件の犠牲者の数の推定が1万から45万まである実態では証拠の信憑性には困難がつきまとうとしてチャン氏の「30万以上」という 断定への疑問を提起しながら、まず歴史家の秦郁彦氏が雑誌「諸君!」で指摘した同書の合計11点にのぼる写真の虚偽や誤用に触れ、とくにチャン氏が「日本 軍が何千人もの女性を捕まえ、レイプし、慰安婦にした」というキャプションをつけた台北の軍事委員会政治部所蔵とされる写真のミスを報じた。
 同紙の記事はこの写真が実際には南京事件の前にアサヒグラフに掲載された「日本軍兵士に護られて野良仕事より帰途につく女子供たち」という写真の修整版 であることを伝えて、その原版を大きく載せた。掲載写真はチャン氏の使用写真と違い、日本軍兵士と談笑しながら歩く女性、子供の姿がはっきり写っている。
 同紙の記事はさらにチャン氏の著書の間違いや虚構として(1)1938年ごろ広田外相が「日本軍はフン族のアッティラ王を思わせる方法で30万の中国民 間人を虐殺した」という秘密電報を打った―との記述は、実はイギリスの記者の電報の内容だった(2)日本は空軍力を戦争で民間人の殺傷と威嚇に使った史上 初の国家―という記述も間違い(第一次大戦でのドイツが最初)(3)日本では南京事件を政治家が否定し、教科書でもまったく教えられない―という記事も事 実に反し、チャン氏は自分の感情と日本側のごとく一部の主張や状況に基づき、断定をしている(4)日本政府は南京事件を含む中国側への侵略、残虐の行為に 謝罪をしていない―という記述も事実と異なるなどと述べている。(産経新聞夕刊、平成10年(1998)8月6日掲載)


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南京事件の新著 著者の中国系米国人

研究より政治運動目的 日本の謝罪と補償 米の外圧狙う

 
 【ワシントン7日=古森義久】南京事件で日本軍が殺した中国人民間人は30万人以上などとする米国の新著「南京虐殺」の著者の中国系米人女性は、日本政 府に改めて謝罪と補償を求めるための圧力を米国からかける運動を目的としているいう実態が7日までに明らかになった。
 歴史の研究よりも政治運動を主目的とする印象が強い。この著書はまた、日本軍の慰安婦制度が南京事件を直接の契機として作られ、日本軍当局の強制連行で アジア各国女性20万人が売春婦にされたとも主張している。
 29歳の中国系米人女性ジャーナリストのアイリス・チャン氏著の「南京虐殺」は昨年11月に刊行されて以来、版を重ね、この3月末で12万部が出版され た。ペーパーバック化も決まったという。
 チャン氏はこの間、米国の各主要都市で中国系社会の支援を得て、同書の宣伝のための講演会を頻繁に開いてきた。首都ワシントンでは3月中旬に、ホロコー スト博物館内のホールで講演会を開き、定員400人ほどの会場が7割方中国系という聴衆で満員となった。
 チャン氏が一連の講演やテレビ・インタビューなどで一貫して強調するのは、「日本政府は現在に至るまで南京虐殺の責任を認めず、処罰も受けず、犠牲者に 補償をしていないため、これからの措置を求める」という主張。
 チャン氏は日本に対しては米国からの外圧が最も効果的だとし、一般米人へのアピールとして、一連の講演ではまず劇的効果を狙うように、「南京の中国人犠 牲者の血を合わせると1千2百トン、死体は貨車2千5百台分、積み重ねれば74階のビルの高さ」とか「日本軍将兵は女性に乱暴した後にクギ刺しにし、妊娠 中の女性は腹を裂き、胎児を切り刻み、男は皮をはぎ、舌を抜き、子供を宙に投げて銃剣で刺し殺した」という極端な表現を繰り返す。
 チャン氏は現在の日本の状況について(1)日本政府は南京虐殺だけではなく第二次世界大戦の日本軍の行動をもみ消し、教科書から削除するため、日本の子 供は日米戦争でどちらが勝ったかも知らない(この状況は「第二の虐殺」といえる)(2)日本国民は全体に第二次世界大戦の歴史に無知であり、多くが靖国神 社のA級戦犯の霊に敬意を表するが、これはドイツでベルリン市の中央にヒトラーの銅像を建て、祈る事に等しい―などと主張、具体的には日本に全面的な謝罪 と補償を求めるリピンスキ法案への支持を聴衆に強く訴えている。
 同法案は、97年に民主党のウイリアム・リピンスキ下院議員(イリノイ選出)により提出され、日本政府に対し南京事件だけではなく従軍慰安婦、バターン の「死の行進」、731細菌部隊などの犠牲者への補償や謝罪を求めている。チャン氏もイリノイ州のシカゴ出身で、リピンスキ議員の法案に歩調を合わせ、講 演でも従軍慰安婦や細菌戦部隊に再三、言及している。とくに慰安婦についてはチャン氏は、「日本軍最高部は南京での将兵の性的な強暴さに驚き、独自の対策 が必要と考え、急ぎ、日本軍専用の売春施設を設置した」と述べ、吉見義明中央大学教授が発見したという資料を引用して、「日本軍当局が組織的にアジア各国 の女性を強制連行し、売春を強要した」と断じ、その犠牲者は20万人に達したと述べている。
 なお、チャン氏はワシントンでの講演では、自書が全米各地の歴史教育の必修教科書として選定されるようにする運動を展開していることをあきらかにし、ス タンフォード大学のアジア研究所ではすでに同書が必修になった、とも語った。(産経新聞朝刊、平成10年4月8日掲載)


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レイプ・オブ・南京 修正せず日本語版刊行へ

南京事件「35万人虐殺説」などの不正確な記述やニセ写真が多数指摘されている米国のベストセラー「レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロ コースト」が、そのままの内容で日本語に訳され今月25日に都内の出版社から刊行されることが8日分かった。出版元では「事実誤認があることは知っている が、著者の要望で手を加えなかった」としている。(渡部浩)

出版元「著者の希望」事実誤認を黙殺 ニセ写真、そのまま掲載

 「レイプ・オブ・南京」は中国系米国人の女性ジャーナリスト、アイリス・チャンさんが1997年(平成9年)11月に出版した。
 昭和12年の南京陥落の際、「日本軍は南京になだれ込んで、あらゆる通りで人々を手当たり次第に射殺した」「日本軍は南京で戸別に中国兵の捜索を行った 際、南京の全住民を殺害した」などと、”大量虐殺”や”婦女暴行”を劇画チックに描写。
 虐殺数として「26万人」「35万人」、婦女暴行件数は「2万件」または「8万件」と、根拠のない数字を挙げている。軍人の名前や階級などの間違いも多 数指摘されている。
 また、大虐殺の証拠として掲載されている20枚以上の写真の大部分が(1)南京攻略戦とは無関係(2)通常の戦闘での死者を写したもの(3)合成写真― などのニセ写真や出所不明の写真であることも明らかになった。
 しかし、同書はニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの新聞やテレビで紹介され、これまでに約50万冊を発売。ペーパーバックにもなるほど、 米国では歴史事実として独り歩きしているほか、日本に謝罪と補償を求めるために政治的に利用されている。日本語版を出版するのは柏書房(東京都文京区) で、題名は「ザ・レイプ・オブ・南京―忘れ去られたホロコースト」。同社によると、編集の過程でチャンさん側が修正を拒否したため、内容をかえずに和訳し て出版することになったという。ただ、東京日々新聞を「ニチ・マイニチ新聞」としている個所など約10ヵ所の誤記は改めたとしている。
 写真については、昨年9月に産経新聞が報道した、米国の砲艦「パネー号」として掲載された別の船の写真がペーパーバック化の際に差し替えられており、日 本語版でも差し替えた方の写真が掲載される。しかし、他の写真は原書と同じものが掲載されるという。
 岩波新書「南京事件」が農作業を終えて帰宅する中国の人たちの写真を「日本人に拉致(らち)される中国人女性たち」として掲載、ニセ写真と分かって著者 と岩波書店が謝罪した写真もそのままだ。
 柏書房は「ザ・レイプ・オブ・南京」の不十分な点を補うためとして、内外の研究者の論文を収めた「南京事件とニッポン人」と題した本も同時出版するが、 著者は南京事件”大虐殺派”の研究者、藤原彰・一橋大名誉教授ら。同社は「チャンさんの本に事実誤認があったとしても、南京大虐殺がなかったということに はならない」としている。
 多数の間違った記述やニセ写真が明らかになりながら、修正もせずに日本語版が刊行されることは今後、論議を呼びそうだ。(産経新聞夕刊、平成11年2月 8日掲載)


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レイプ・オブ・南京
日本語版刊行を中止

論文集同時出版 「著者側からクレーム」

中堅出版社「柏書房」(東京都文京区、渡部周一社長)が、不正確な記述やニセ写真が多数指摘されている米国のベストセラー『レイプ・オブ・南京―第二次世 界大戦の忘れられたホロコースト』をそのままの内容で日本語版にしようとしていた問題で、同社は18日までに、25日に予定されていた出版を中止すること を決めた。柏書房は「日本語版の不十分な点を補う論文集の同時出版について、著者側からクレームがあったため」と説明している。

 『レイプ・オブ・南京』は中国系米国人の女性ジャーナリスト、アイリス・チャンさんが1997年(平成9年)11月に出版。昭和12年の南京陥落の際に 日本軍が「26万人」または「35万人」の民間人を虐殺し、「2万件」から「8万件」の婦女暴行があったと根拠のない数字を挙げているほか、大虐殺の証拠 として掲載されている写真の大部分が、ニセ写真や出所不明の写真であることが明らかになっている。
 柏書房は昨年5月にチャンさん側から版権を獲得し、日本語版の編集作業を始めたが、事実誤認の記述やニセ写真について、チャンさん側が修正を拒否したた め、一部の誤記を除いて、そのまま和訳して出版することを決定。日本語版の不十分な点を補う内外の研究者の論文を収めた『南京事件とニッポン人』と題した 本も同時に出版することにしていた。柏書房によると、チャンさんは論文集の出版について知らなかったが、今月8月付けの産経新聞夕刊がこのことを報道した のを伝え聞き、同社に「論文集を出すのなら、日本語刊行は認めない」という趣旨のクレームを伝えてきた。このため、日本語版、論文集とも出版は難しいと判 断、両書とも印刷作業に入っていたが、出版を見送ることを決めたという。
 渡部社長は「今にしてみれば、間違いがあることを知りながら出版し、別の本で補完するという手法には反省すべき点もあった。チャンさん側には今後も修正 に応じるよう要請し、出版できる道を模索したい」と話している。(産経新聞朝刊、平成11年2月9日)


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「南京邦訳書」刊行延期報道
修正記事を再掲載
朝日新聞回答書「誤報」指摘は認めず

 南京事件をめぐる米国のベストセラー「レイプ・オブ・南京」の日本語版刊行無期延期について2月19日付けの英字紙「アサヒ・イブニング・ニュース」 (朝日新聞社発行)が「右翼の脅迫によって」と報道した問題で、同社は1日、藤岡信勝・東大教授と東中野修道・亜細亜大学教授からの公開質問状に回答し、 「誤報ではないが、結果として誤解を招きやすい記事になった」として、修正した記事を再掲載したことを明らかにした。
 日本語版刊行は中堅出版社「柏書房」が計画していたが、著者の中国系米国人、アイリス・チャンさんが事実誤認部分の修正や邦訳を補完する論文集の同時出 版に難色を示したため無期延期。朝日新聞もチャンさん側との確執が理由と報道していたが、同紙の記事を訳したアサヒ・イブニング・ニュースでは、「右翼の 脅迫によって」無期延期に至ったという内容になっていた。
 藤岡教授らは、朝日新聞社の箱島信一社長に、誤報を認めて訂正記事を掲載することなどを求める公開質問状を出していた。
 回答書の差出人は「広報室」で、朝日新聞を英訳した元の記事には、文頭で「脅迫のあと出版延期になった」としたほかに、末尾に「柏書房は原著者と改訂や 別途同時出版の交渉をしたが、不調に終わったため出版そのものが延期になった」という趣旨の部分があったが、紙面では末尾の部分が「時間的制約など新聞制 作上の都合で」欠落したと説明。
 「結果的に不完全な記事ではありますが、脅迫と出版延期の間に時間的な前後関係があることは指摘しているものの、因果関係があるとはいっておりません」 としている。
 対応については「誤報ではありませんが、結果として誤解を招きやすい記事になったのは事実」とした上で、3月27日付紙面に 「Clarification」(説明、明りょう化の意味)と題して、文頭部分を補って末尾を復活した記事を掲載、データベースも手直ししたことを明らか にした。
 朝日新聞社広報室の話
「藤岡、東中野両氏に回答したことであり、第三者にコメントする性質のものではないが、アサヒ・イブニング・ニュースの記事についての見解は回答書の通り だ。『Clarification』は訂正記事ではない」
 藤岡、東中野両教授の話
「誤報ではないと強弁しているが、だれが読んでも右翼の脅迫が延期の理由と読めるし、米国紙では、すでにその報道が広がっている。この回答は新聞報道の初 歩を無視した奇弁で、詳細な反論と再質問書を用意したい」(産経新聞朝刊、平成11年4月2日掲載)


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日本政府に賠償要求決議
 「南京大虐殺」が独り歩き?

 第二次大戦中に日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、米カリフォルニア州上下院がこのほど、「日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行 うべきだ」とする決議を採択した。決議提案者の日系議員は「平和を願い、アジア系アメリカ人の団結を強めるため」と強調。法的拘束力はないが、米国内で最 近目立つ日本の過去の「残虐行為」追及の動きを反映したものといえ、波紋を広げている。(ロサンゼルス 鳥海美朗)

第ニ次世界大戦での“戦争犯罪”めぐり 米カリフォルニア州議会

 決議は日系三世の州下院議員、マイク・ホンダ氏(民主党)が提案した。日本の「戦争犯罪」として◇強制労働と五万人近くのぼる軍人、民間人捕虜の死 ◇1937年の日本軍による南京進攻に伴う中国人30万人の死◇従軍慰安婦の強要―などを列挙。
 そのうえで、「人間性反するすべての犯罪を糾弾する」とし、日本政府に対して「両義には解釈できない、明確な謝罪と賠償」を要求する一方、「米国内の反 アジア(反日)感情と人種差別を助長するためにこの決議を利用してはならない」と歯止めをかけている。決議はまた、連邦議会とクリントン大統領にも日本側 への働きかけを求めている。
 決議は二十三日、まず下院で議決されたが、それまでに、激しい議論が展開された。もう一人の日系人下院議員で、大戦中には米政府による日系人強制収容を 体験したジョージ・ナカノ氏(民主党)は今ここで日本に対する古い敵意をあおることは、(米国内の)日系人に対する反発を駆り立てることにつながりかねな い」との強い懸念を表明し、投票を棄権した。
 緑の党の議員は「米軍による広島・長崎への原爆投下は残虐行為ではないのか」との議論を展開。これに対し、原爆投下は戦争終結を早め、結果的に多くの生 命が救われた」と反論する民主党議員もいたという。
 決議は上院では二十四日、全会一致で採択された。ホンダ議員は産経新聞の取材に「日本の何人かの首相は誠意ある、個人的な謝罪を行った。しかし、謝罪は 日本政府の行動として認められるような形で行われなければならない」と決議提案を説明。「解決が困難な問題であるからこそ、議会という公の場から議論を広 めたかった。日本が政治的、経済的に力を持ち、国際民主主義社会における良きパートナーとなった今だからこそ、謝罪を求めている」と語り、過去の過ちを正 す決議はアジア系アメリカ人の連帯にもつながると強調した。カリフォルニア州では今月十二日、大戦中の1941年にフィリピンで日本軍の捕虜になり、九 州・大牟田の三井三池炭坑で強制労働させられた元大学教授(79)が三井を相手取り、当時の「一日十二時間の奴隷のような労働と拷問による肉体的、精神的 苦痛」への償いを求めてロサンジェルス上級裁判所に提訴、話題になった。
 戦後半世紀以上を経た今なお、なぜこのような州議会決議や訴訟が続くのか。サンディエゴ州立大学名誉教授(日本史)で、サンディエゴ日米センター所長の アルビン・コークス氏は背景に97年末に全米で発売されセンセンーショナルな話題を呼んだアイリス・チャン著「南京虐殺」の影響があると指摘する。
 同書は、南京事件で日本軍に殺された中国人は民間人三十万人以上と、史実として確認されていない数字を挙げ、また日本では政府が南京事件を国民に隠して きた―などとする事実誤認が目立ち、米国内の研究者からも激しい批判を浴びた。
 しかし、コークス氏によれば、チャン氏が使った「南京大虐殺=第二次世界の忘れられたホロコ−スト」との文言が米国社会では強いインパクトを持ち、独り 歩きを始めたという。
 コークス氏は「南京事件の犠牲者や捕虜になった人たちには深い同情を覚える。しかし、半世紀前の出来事の責任を現在の日本人に問うのは適当ではないし、 米国にとって何の利益にもならない。訴訟や決議は、日米関係を損なう。いたずらに古い傷口をこじ開けるにすぎない」との意見だ。(平成11年8月11日産 経新聞朝刊より)


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1930年代、日本世界制覇野望の証拠
「田中上奏文」偽造はソ連?

■田中メモリアル(上奏文)
 1927年6月27日から7月7日にかけて開かれた田中義一首相主宰の中国およびアジア戦略会議の結論を昭和天皇に対し上奏(じょうそう)したとされて いる。日本の世界帝国建設のためには中国、モンゴルの征服は必然で、その過程で米国と対決するというもので、米国との戦争を明確にした点が米国内で強い反 発を呼んだ。
 29年に中国の雑誌「時事月報」に発表されたのが最初で、その後、30年代に米国を中心に広く配布され、ルーズベルト大統領もその内容に注目したことが 記録に残っている。ソ連のコミュンテルンは31年12月の雑誌「国際共産主義者」でロシア語版を発表している。
 しかし、文書内の日付などに矛盾点が多く、上奏文にもかかわらず表現が不穏当などという指摘が当初から多く、偽造との見方が強かった。戦後の東京裁判で も、キーナン検事が日本の計画的侵略を裏付ける資料として文書を使おうとしたが、不確かな内容なため結局は使われなかった。

作成の2年前 
トロッキーが確認
日米対立の操作目的か 

 【ワシントン6日=前田徹】1930年代の米国や中国で日本の世界制覇野望の証拠として使われてきた「田中メモリアル(上奏文)」は偽造文書と指摘され ているが、ソ連国家政治保安部(GPU)がその偽造に深く関与していた可能性が強い事が、米国にソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の2年も前に モスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、日米対立を操作する目的で工作したと推測されている。
 
 米下院情報特別委員会の専門職員として、ソ連の謀略活動研究してきたハーバート・ロマーシュタイン氏が、元ソ連国家保安委員会(KGB)工作員で米国に 亡命したレフチェンコ氏と共同で米国内のKGB活動の実態を明らかにする目的で調査した際に、偽造文書が関与していたのではという疑惑が浮かんだ。
 「田中上奏文」は、1927年から29年にかけて内閣を率いた田中義一首相が昭和天皇にあてて提出した上奏文とされ、その内容は「日本が世界制覇を達成 するためにはまず中国、モンゴルを征服し、その過程で米国を倒さなければならない」としている。この上奏文によって第二次大戦に至る日中戦争、真珠湾攻撃 は、計画的な日本の野望達成への一環だったとされてきた。ところが、ローマンシュタイン氏らの調査では、トロッキーが暗殺される直前の40年に雑誌「第四 インター」に投稿した遺稿とも言える論文の中に、田中上奏文に関しての貴重な証言が含まれていた。トロッキーは、スターリンによって追放される前で、まだ ソ連指導部の一人だった当時の25年夏ごろ、KGBの前身のGPUトップだったジェルジンスキーから「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。日 本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。天皇も承認している。これが明らかにされれば国際問題化し、日米関係がこじれて戦 争に至る可能性がある」との説明をした。
 当初、トロッキーは「単なる文書だけで戦争は起こらない。天皇が直接、署名するとは考えられない」と否定的だったが、その内容が日本の好戦性と帝国主義 的政策を証明するセンセーショナルなものだったためソ連共産党政治局の重要議題として取り扱いが協議され、結局、「ソ連で公表されると疑惑の目で見られる ので、米国内のソ連の友人を通じて報道関係者に流し、公表すべきだ」とのトロッキーの意見が採用されたと証言している。
 ロマーシュタイン氏はこうした経験を検討した結果、GPUが25年に日本外務省のスパイを通じて何らかの部内文書を入手した可能性は強いが、田中上奏文 は、盗み出した文書を土台に27年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している。
 同氏によると、トロッキーが提案した「米国内の友人」を通しての公表計画は米国共産党が中心になって進めており、30年代に大量に配布された。しかも日 本共産党の米国内での活動家を通じて日本語訳を出す準備をしていることを示す米共産党内部文書も見つかっており、実は田中上奏文の日本語版が存在しないこ とをも裏付けているという。(平成11年9月7日産経新聞朝刊より)


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「ザ・レイプ・オブ・南京」

シンガポールでも論争

一方的日本批判だけではなく賛否両論に分かれる

 【シンガポール31日=湯浅博】中国軽米国人ジャーナリストが出版したベストセラー「ザ・レイプ・オブ・南京」が反日宣伝の道具であると告発する日本人 学者の著作がシンガポールで報じられ、英字紙を舞台に激しい論争が起きている。
 国内ばかりかドイツ、台湾からも投書が寄せられ、従来のような一方的な日本批判だけではなく賛否両論に分かれているのが特色だ。だがシンガポールは、陥 落直後に多くの人々が敵性華僑として日本軍に銃殺された歴史がある事から、戦争の傷が依然深いことをうかがわせている。

英字紙を舞台に

 論争のきっかけとなったのは、9月23日付英字紙ストレーツ・タイムズの東京特派員電。藤岡信勝・東大教授と東中野修道・亜細亜大学教授が共著でアイリ ス・チャン氏の著書を徹底批判した「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」を紹介した記事だった。
 同紙によると、両氏はチャン氏の著作が反日機運を扇動する中国の宣伝機関とつながる組織と連携していると批判し、チャン氏の記述を「体系的にくつがえし ている」と報じている。
 藤岡教授がさらに、チャン氏著作使用の写真が戦時中に中国側が宣伝に使った写真で、間違った写真説明で「南京虐殺」をでっち上げているとの主張を伝え た。
 同紙はこの東京発とほぼ同じ行数で、北京発の記事も掲載して中国側の反応を紹介している。特に中国外務省スポークスマンの話として、「南京虐殺は日本軍 が1937年から45年にかけて行った残虐行為の1つ」と語り、今回の2人の日本人学者の著作について「うわべをごまかす日本の知識人の徒労だ」と切り捨 てている。
 この報道に関連して、シンガポール国立大学の日本人研究者が9月28日付同紙の投稿で、チャン氏の著作が時代や場所を取り違えるなど中学生でも指摘でき る問題が多く、「もはや歴史書とはみなされない」と酷評した。
 その上でこの研究者は、事実の掘り起こしを日中の学者に任せ、シンガポール人はチャン氏の著作で感情的にならないよう呼びかけた。
 この小論に触発されて、10月1日付では「日本人の素晴らしい面を見よう」とのタイトルで、戦争で苦しんだアジア諸国の人々や敗戦を味わった日本人の痛 みを知り、同時に建設的な関係を築くよう訴えた投書が載った。
 同日付は一方で、3ヶ月日本に滞在したことのあるドイツ人を名乗る投稿者が、一般の日本人は原爆の犠牲者であることしか考えず、中国での残虐行為にフタ をしようとしていると非難した。
 さらに、ドイツでは教育で過去の罪を学び、かつ犠牲者に公式謝罪しているが、「日本は殺りくに対する謝罪をしたか」と断罪している。
 シンガポール人からは、「殺戮、惨殺、レイプをしておいて感情的になるな、なんて言えるのか」と怒りの一文が10月2日付で掲載され、台湾からも「教訓 を学ぼうともしないファシスト日本に、二度と犠牲になるのは願い下げである」との反応が寄せられ、徐々に感情的な論調が増えていく。
 「謝罪なし」など事実関係も怪しくなって行く中で、10月7日付では橋本宏・駐シンガポール大使が、「日本は未来の調和を見つめている」と題する一文を 同紙に寄せた。
 橋本大使は、終戦50周年に当時の村山富市首相が二度と過ちを繰り返さない事を誓約している事や、日本軍の南京入城後に民間人が死傷していることは否定 しえない事を表明した。
 自著の出版をきっかけに東南アジアで論争が起きていることについて藤岡信勝教授は「これまで南京虐殺の虚像だけがまかり通っていただけに、別の見解が公 然と議論の中に投じられた意味は大きい」と語っている。(平成11年11月1日産経新聞)


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日本外務省
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竹島問題
(英語版はこちら)/(韓国語版はこちら)

竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法 的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

パンフレット「竹島問題を理解するための10のポイント」(日本語版(PDF))(英語版(PDF))(韓国語版(PDF))(アラビア語版(PDF)) (中国語版(PDF))(フランス語版(PDF))(ドイツ語版(PDF))(ポルトガル語版(PDF))(ロシア語版(PDF))(スペイン語版 (PDF))

竹島問題の概要
竹島の認知
竹島の領有
鬱陵島への渡海禁止
竹島の島根県編入
第二次大戦直後の竹島
サンフランシスコ平和条約起草過程における竹島の扱い
米軍爆撃訓練区域としての竹島
「李承晩ライン」の設定と韓国による竹島の不法占拠
国際司法裁判所への提訴の提案

竹島

隠岐諸島の北西約157キロメートル、北緯37度14分、東経131度52分の日本海上に位置する群島。島根県隠岐の島町に属する。
東島(女島)、西島(男島)の2つの小島とその周辺の数十の岩礁からなり、総面積は約0.21平方キロメートル(日比谷公園とほぼ同面積)。
各島は、海面からそびえ立つ急峻な火山島であり周囲は断崖絶壁をなす。また、植生や飲料水に乏しい。
【韓国の出入国手続に従った竹島入域の自粛について】
 韓国による竹島の不法占拠が続いている状況の中で、我が国国民が韓国の出入国手続に従って竹島に入域することは、当該国民が竹島において韓国側の管轄権 に服することを認めたとか、竹島に対する韓国の領有権を認めたというような誤解を与えかねません。そ のような入域を行わないよう、国民の皆様のご理解とご協力をお願いします。

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トンチンカンな歴史観の政治家はわざと騙されたふりをしているのです。同和や在日の人の心情につけ込ん で、味方するふりして献金を集めたり、票を獲得したりしているのです。「賠償金」を払うのは国民の税金だから痛くも痒くもないからです。自分達の祖先を卑 しめて、自分は関係ないと思っている自己中心的な人達の典型でしょうね。

それから、日本は朝鮮半島の近代化の貢献してきています。多大な迷惑などかけていません。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=0047...

当時の新聞記事をご覧になってください。未開の朝鮮半島を近代化すべく心をくだいた
新聞記事文庫 朝鮮・台湾・満州(7-041)
京城日報 1923.5.16-1923.5.28(大正12)


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朝鮮の産業と交通 (一〜九)
殖産局長 西村保吉

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[(一)]

産業
 朝鮮に於ける産業は農業を始めとし水産業、林業等、皆天恵に富んで居ります故、之に相当の資本と労力とを投じますれば、開発の余地甚だ多きに拘らず、韓 国政府時代い於ては政治及社会組織の不備欠陥、交通経済等の幼稚であった為に、此等原始産業の発達を阻害せられ。随って商工業の如きも其の発達幼稚であり まして、総ての産業は頗る振るわず、其の総生産額の如き明治四十三年に於ては僅に二億九千三百余万円輸移出入貿易額七千万円に過ぎざるの状態でありまし た。然るに総督府設置以来、鋭意産業の発達を図りまして民衆の福利を増進するに努め、地方団体の施設、内地資本の招致は、民間当業者の努力と相俟って、著 しく生産額を増進し、今日(大正十年末)に於ては生産総額約十四億七千万円、輸移出額二億一千八百余万円となりまして、始政当時に比し生産額に於て約五 倍、輸移出額に於て約十二倍の増加を示すこととなりました。今各種産業の概略を申述べます


農業
 農業は朝鮮に於ける各種産業中の枢軸でありまして、総人口の約八割は農業者で、農業生産品は生産総額の約八割に当り、農産物及其加工品の輸移出額は総輸 移出額の約七割を占めて居ります。
 農業組織は耕種農業を主体としまして、養畜、養鶏、養蚕を副業として営みつつあります。
 古来営農の方法は甚だ粗放でありまして、耕作技術の如き亦頗る幼稚でありましたが、始政以来各般の施設を行い奨励を加え、又農民の智識を向上せしめたる と、一面内地人営農者の移住に依りて、著しく耕種法の改良進歩を促し、主要地に於ては漸次改良農法の普及を見ることとなりました。

一 耕地

今日に於ける耕地の全面積は□百五十五万町歩、田二百八十四万町歩、火田十四万町歩、合計四百五十三万町歩でありまして、干潟地、河辺荒蕪地、山麓傾斜地 等今後開墾干拓に依りて耕地と為し得べき未墾地亦少くありませぬ。始政以来既設灌漑事業の復旧、土地所有権の確定、未墾地処分の実施及水利組合お設置等に 依りて、鋭意耕地の改良拡張に努力し来りましたが、近年更に朝鮮産米増殖計画を樹立しまして、

(イ)耕地拡張改良基本調査、
(ロ)土地改良事業工事の一部分補助、
(ハ)土地改良事業の指導奨励及監督の職員設置

等の方法を講じまして、専ら耕地の拡張改良に努めつつあります。農家一戸当り面積は平均一町七反歩弱でありまして、内地に於ける農家一戸当り面積の約一町 歩に比較しますれば、約二倍に近くなって居ります。然れども多年秕政の結果生産力乏しく、殊に□中灌漑設備の完全なるは僅に全面積の二割強に止まり其多く は尚天水に委ぬるの状況にあります

二 作物

朝鮮に於ける営農方法は、大体内地と同じく、気候、風土も亦大差ありませぬ故、内地に於て生産し得べき作物で、朝鮮い於て生産し得ざるものは甚だ罕であり ます。作物の種類は食料作物を主とし衣料其他の工業原料用作物之に亜いで居ります。食料作物中主要なるものは米でありまして、其次は麦大豆であります。今 作物中の主要なるものを述べますれば、


(甲)米

米は古来朝鮮人の主要食料品でありまして、始政当時既に一百万石の生産がありましたが、爾来益々鮮内の糧食を充実せしむると共に輸移出を増加せしめ、殊に 内地に於ける食糧の充実を資け併せて農家の経済を向上せしむる目的を以て産額の増加と品質の改良とを講じました。即ち

(イ)在来の米種は品質収量共に劣等でありますに依て、優良品種の普及を図り、
(ロ)優良品種の普及せる□に対しては、其の種子の更新を行い、優良品種の劣変を防止し、
(ハ)優良品種の栽培に適せざる土地に対しては、在来種の改良を図り、
(ニ)肥料の施用を奨励し、
(ホ)苗代及本□に於ける裨抜を励行し
(ヘ)害虫駆除予防規則を設けて害虫の駆除予防を行わしめ、
(ト)産米の収量及品質の滅傷を防く為、適期の刈取を奨励し、
(チ)稲及籾の乾燥調製の改良を行わしむると共に、玄米調製の慣習を助長し
(リ)米の輸移出増加の趨勢に鑑みて朝鮮米の品質を改良し、其の取引を円滑ならしめ輸移出の促進を期する為米穀検査規則を発布して、各道をして輸移出米の 検査を施行せしむ、


(二)
 前述の如く各種の施設を為したる結果、最近い於ては、其産額一千五百万石内外、輸移出高三万五十万石内外に達し、始政当時に比し生産高に於て約五割、輸 移出高に於て約七倍を増加せるのみならず、其品質に於ても著しく向上し、全く昔日の面目を一新するに至りました。

(乙)麦類

麦類は作附反別及其収穫高に於て、米に次ぐ重要産物でありまして、農家の食糧として重要なるのみならず、小麦の如きは内地に於ける重要年と共に増加し、又 一面朝鮮に於ける小麦粉の輸入相当多額に上って居りますから、其輸移入を防止する必要上、始政以来

(イ)作付反別の拡張、殊に畑地の分布少き南鮮地方に於ては、□二毛作として其の作付の拡張を奨励し、(ロ)優良品種の普及、(ハ)肥料の増施(ニ)病虫 害の駆除予防、(ホ)乾燥調製の改良

等を奨励して来ました結果、大正十年末に於ては其産額一千十七万石、輸移出高三十万石に達し、始政当時に比し、産額に於て六割余を増加し輸移出高に於て約 十七倍となりました。

(丙)豆類

豆類中重要なる地位を占むるは大豆でありまして、朝鮮の風土に好適し品質亦優良に農家の自家用及輸移出用に供せられ、始政当時既に生産高三百万石、輸移出 高六十万石でありましたが、始政以来

(イ)優良品種の普及、(ロ)種子の粒選(ハ)乾燥調製の改良奨励、(ニ)米と同様輸移出及道外搬出の検査

を施行したる結果、大正十年に於ける産額は四百八十六万石、輸移出高百八十五万石となり、始政当時に比し、産額に於て五割余を増し、輸移出高に於て三倍余 に達しました
 大豆以外の豆類に於ても亦相当改良増殖に意を用いたる結果、今日に於ては小豆其他の豆類を合して百三十万石の産額があります

(丁)雑穀

朝鮮に於て栽培せらるる雑穀は粟、稗、黍、蜀黍、玉蜀黍燕麦及び蕎麦であります。就中粟は最も重要なるものとなって居まして西北鮮地方に於ける農家の主要 食料に供せられ、麦及大豆と併せて、田作の三大作物であります。之が改良奨励に関しては

(イ)優良品種の普及(ロ)耕種法の改良指導、(ハ)害虫の駆除予防奨励

等に力を致し、反当収量の増加に努力して来ました結果大正十年に於ける産額は五百八十六万石に上り、始政当時に比し約八割を増加しましたが尚外国からの輸 入を仰ぎつつあるの状態であります


(三)
(戊)棉花

特用作物中首位を占むるものは棉花であります。朝鮮の風土は其栽培に好適し極北の一部を除くの外は到る処に栽培せられまして始政前に於て既に栽培面積約四 万町歩に達して居りました然れども其品質が不良でありまして、収量も亦僅少でありました故、勧業模範場に於て試験の結果、米棉中陸地棉『キングスインブ ルーブド』種の南鮮地方に適するのみならず品質優良、繊維細長にして紡績原料に好適せるを確め大正元年より同六年迄に、其栽培拡張の第一期計画として十万 町歩に拡張することを図りましたが、大正七年迄に九万余町歩の拡張を見、略予期の成績を挙ぐるを得ましたに依り大正八年更に第二期拡張計画を樹立して、以 後十年間に九万五千町歩在来棉二万五千町歩を拡張して、結局大正十七年には棉作反別二十五万町歩、実棉二億五千万斤に達せしむる計画の下に

(イ)棉作指導技術員を設けて実地の指導奨励に当らしめ、(ロ)新規拡張地区に対する種子の無償配付を行い、(ハ)陸地棉種子の更新を行い、(ニ)陸地棉 種子の在来種子との混淆を防止し、(ホ)棉作組合の設置を奨励して、生産及販売上に於ける当業者の利益を保護し、(ヘ)棉作指導里洞を設置せしめて、棉作 集約栽培の奨励を為す

等の方法に依り、其産額の増加を図りつつありまして、大正十年に於ける産額は約一億万斤、輸移出高繰棉約八百余万斤に達し、之を始政当時の産額二千百万 斤、輸移出高百二十万斤に比較しますれば産額に於て約五倍、輸移出高に於て約七倍となりました

(己)棉以外の特用作物

綿以外の特用作物としては麻類五百四十四万貫を主とし楮、莞草、甜菜等亦栽培せられて居ります

三 蚕業

養蚕は古来緒戦に行われましたが、李朝末期い於いて頗る衰頽して始政の当時に於いては繭の年産額一万二千石に止まりました然れども朝鮮の気候風土は自然に 養蚕に適して居ります故

(イ)先ず栽桑を奨励して、桑田反別の増加及品種の改良を図り、
(ロ)各道に蚕業伝習所を設置して、実地に就き育蚕術を会得せしむると同時に、簡易なる講習を行い、
(ハ)蚕室及蚕具の改良を奨励し
(ニ)稚蚕共同飼育の奨励に依りて、育蚕技術を簡易に迅速に習得せしめ
(ホ)蚕種製造者の養成を行いて蚕種の鮮内に於ける需要に応ぜしめ、
(ヘ)優良蚕種の普及を図り、
(ト)産繭の処理上有利ならしむる為、蚕種を限定して其の統一を図り
(チ)乾繭器の普及を図りて、貯繭の途を講ぜしめ、
(リ)蚕業の進歩に伴い蚕病の予防駆除、蚕種の検査桑苗の生産販売、蚕種の販売移入等の取締を為すの必要上、大正八年朝鮮蚕業令を発布して、各道に蚕業取 締所を設置せしめて、各般の事項の取締に任ぜしめた

右各種の施設を行いたる結果順調なる発達を遂げ、其産繭額大正十年に於いて十四万余石となり始政当時に比して約十一倍の多きに達し、今や全鮮到る処其普及 を見ざるはなく、且その飼育蚕種は全部優良繭に改良せられ、蚕種の供給は鮮内製造に係るもの大部分を占め、其産繭の一部は移出向生糸を生産せらるる現況で ありまして、近時繭価昂騰の結果、農家経済の向上に資すること多大となりました

四 殖産

畜産は牛が其重なるものであります。朝鮮牛は農耕上欠くべからざる要畜なると共に肉用としても亦優良でありまして内地い於ては役肉両用として其の需要多 く、始政以来、

(イ)保護牛制度を設けて、優良牛保護の途を開き(ロ)種付を奨励し(ハ)飼料の充実を図り(ニ)畜産同業組合の設置を奨励し(ホ)獣疫の予防(ヘ)移出 牛の検疫

を行う等、各般の施設を講じて其改良増殖を図りたる結果、大正十年に於ける畜牛数は百五十二万余頭に達し、農家十戸に対し五頭余、耕地百町歩に対し三十五 頭の割合を示して居ります。其分布の状況は一様ではありませぬが、農家戸数に対する割合より見るときは、西北鮮地方に多く、南鮮地方に少く又輸移出の方面 より見るに、年々内地、露西亜、支那等に輸移出せらるるもの数万頭に上り、大正十年に於ては五万二千余頭を輸移出し、将来も次第に増加の勢いがあります。 輸移出牛は優良なるもの多きが故に、今後益々朝鮮牛の改良増殖を図るの必要があります
 馬は朝鮮在来種は体躯矮小で。産業上の利用に適せざるが為め、別に新に実用馬を産出する目的を以て、目下蒙古牝馬を基礎とし、内国産洋種馬を交配して、 雑種試験を施行しつつあります。朝鮮在来馬は、大正十年に於ける頭数約六万頭でありまして、咸鏡南北道及全羅南道済州島に最も多く分布されて居ります。


(四)
 緬羊は大正三年以来、勧業模範場に於て始めて飼育を試みたるもので古来朝鮮に飼養せられた事はなかったのでありますが、大正四年よりは一般農民に対して も試育を行わしめ目下試験中に属するも漸次良好なる成績を示し大正十年に於ける飼育頭数は約千六百頭を数えました。
 豚、鶏は農家の副業として古くより飼養せられました。然れ共在来種の成績良好ならざりし為、改良品種の普及に努めましたが、其結果漸次好成績を挙げ来 り、豚は大正十年に於ては約百万頭にして、農家百戸に対し三十七頭に上り、改良種及雑種は総頭数に対して十二パーセントに達し、鶏は大正十年に於る羽数五 百五十四万羽、農家一戸当り二羽平均となり、改良種及び雑種の総羽数に対する割合十三パーセントを示しました。豚鶏は其需要年と共に多きを加うるのみなら ず、其飼養は農家に好適の副業であります故、将来益々改良発達を図るの必要があります。
以上の如く穀菽の栽培養蚕養畜の各方面に亘りて諸種の産物何れも相当の額を有して居ります故、朝鮮内の需要を充たして余りあるもの多く粟類を除く外は何れ も内地及外国に輸移出せらるるの状況にあります。


林業
 朝鮮に於ける森林の総面積は約千五百八十八万町歩を算して、全土の七割一分を占め、世界に稀なる山国なるに拘らず、旧韓国政府時代に於ては林政に意を致 さざりし結果、成林地は僅に三割、稚樹発生地は五割を占め、残余の二割は全く無立木地でありました。元来植樹保林の経営は治水と密接の関係があり且国土保 全上緊急の必要がありますのみならず、一方建築及燃料材の需要は、時勢の変遷に伴い逐年激増し鉄道枕木電柱、橋梁用材、製紙材料等の需要も次第に増加する の状態にあります故、始政以来森林の保護に力を尽し蓄積の増加を図ると共に植樹造林を奨励して、林相の改善を企図する方針の下に、

(イ)明治四十四年以来、林業奨励上の一大支障たる古来権利関係の分明ならざる国有林野の調査を施行し、大正六年以後は更に私有林野、又は私有に帰属せし むべき□□林野の整理調査を開始し、
(ロ)要存予定国有林野の内、鴨緑、豆満江流域に於ける林野経営の為、営林廠を設けて其の任に当らしめ、其の他の国有林野区域中に於ける重要なる箇所に は、山林課出張所を設け尚植伐の基準たるべき仮施業案を編成し、又保護員の配置或は地元住民に保護命令を発する等の方法に依り火田、盗伐其の他の被害予防 を講じて国有林経営の歩を進め、
(ハ)国有林野中国に於て経営する必要なき林野は、成林地に非ざる限り造林を条件として希望者に貸与し、成林後譲与するの特典を開き、
(ニ)造林希望者にして資力薄弱なる為。所要の樹苗を得る能わざる者には、国費又は地方費を以て養成せる苗木を下付し、
(ホ)道地方費又は面に於て模範林を設置し或は記念植樹を挙行して愛林思想を喚起し、



(五)

(ヘ)指導技術員を設置して、一般人民の造林指導に当らしむると共に、他面指導監督機関の活動と国費の補助とを以て各種被害予防駆除並に森林の使用収益の 矯弊を期し、併せて森林組合林業団体等の設立活動を促して、鋭意森林の復旧増殖に努め、
(ト)所有者又は占有者の自由経営に委するときは、林政上又は公益上弊害を醸す虞ありと認むる林野は、之を保安林に編入する方法い依りて林相の維持を図り
(チ)荒廃激甚にして治水上枢要なる関係を有し且つ経済的林業を行い難き地域に対しては砂防工事費を国庫より補助して之が復旧の策を講じ
(リ)最近また林業の改良発達に関する試験調査機関を新設し

其他幾多の方法を実施して、鋭意林政及び林相の改善に力を致しました結果、明治四十三年度末と大正九年度末との林相を対比して次の如くなりました

▲明治四十三年度末成林地五一二万町歩稚樹発生地六六二万町歩未立木地四一五万町歩計一、五八九町歩▲大正九年度未成林地五四八万町歩(三六万町歩増)稚 樹発生地七二九万町歩(六七万町歩増)未立木地三一二万町(一〇三万町歩増)計一、五八九万町歩



水産業
 朝鮮は三面海を環らして海岸線の延長実に九千三百浬に達し、気候、潮流等の関係上自ら海産に富で居ります然れども旧韓国時代に於ては漁政の其礎未だ確立 せず、漁業の改善に関する諸般の奨励洽ねからざりし為漁業の進歩を少しも見ることができなかったのであります。併合以来本府及各道は斯業の発達を促進する 為、漁業に関する処分、事務の改善を図り、漁業の保護取締を周密にし、殊に水産業の助長奨励に関しては各種の調査及試験を施行して其結果を公表し、或は水 産業に関する伝習、講習を開設して直接漁民を指導啓発し、有望なる事業に対しては金品の補助貸与等を行い、其の発達を期するに努めました。又漁港の修築は 単に個人のみに委し難きを以て、年々工費を補助して其の修築を奨励し、水産教育の必要を認めて簡易水産学校を設置し、市場規則を設け魚市場の設置を許可し て水産物の需給を円滑にし、水産組合漁業組合の発達を促進し水産製品検査規則を発布し、輸移出水産製品の検査を施行して品質の改良取引の改善を図りまし た。
斯くの如く各方面に於ける施設の結果、水産業は漸次発達の域に進み、大正十年の統計に依るに漁獲高四千五百万円、製造高二千六百万円に上り、之を明治四十 四年の漁獲高六百七十六万円、製造高二百六十万円に比するに、漁獲高に於て約八倍、製造高に於て約十倍の増加を見、実に長足の進歩を促しました


(六)

商工業
一 商業

朝鮮に於ける商業は対内対外共に併合後漸次発展の歩を進め特に欧洲戦乱以来輸移出入の激増、企業の旺盛等に依り急速の進歩を示しましたが、大正九年以来戦 後不景気の為稍沈衰しました。併し併合当時に比すれば尚著しき進歩を見て居ります。即ち貿易に在りては大正十一年に於ける輸移出入品の価格四億一千二百余 万円で明治四十□年の五千九百余万円に比し約七倍の増加となり又金融に在りては大正十年に於ける朝鮮銀行券年末発行高一億三千六百余万円、手形交換高百七 十六万余枚金額八億五千二百万円、各種銀行貸出年末現在高二億八千七百余万円、各種銀行預金年末現在高一億七千百余万円でありまして、明治四十三年の朝鮮 銀行券年末発行高二千万円、手形交換高五万九千余枚金額二千余万円、各種銀行貸出年末現在高二千二百余万円、各種銀行預金年末現在高千八百余万円に比して 実に異常の発達であります。次に朝鮮に本店を有する商業又は銀若□□くは金融業を営む会社に就て見ますも、亦大正九年末に於ける会社数二百一、公称資本金 一億九千七百余万円払込資本金1億二百余万円に上がりまして、明治四十三年末に於ける会社数五十、公称資本一千八百余万円払込資本金一千万円に比較すれば 社数に於て四倍、資本金に於て約十倍に達しました。
二 工業は今尚幼稚の域にありますが、大正五年以来時局の影響を受けて急速の発展を示し、工産物の価格の如き明治四十三年に三千余万円に過ぎざりしもの が、大正十年には二億二千八百余万円に達し、実に七倍余の発達を示しました


鉱業
 朝鮮い於ける主要鉱物は金、鉄、黒鉛、石炭でありまして、此等鉱業の概況は左の通りであります

一 金

物価、労銀等の昂騰に依り其生産費甚だしく増嵩したる結果金の価格との権衡を失し、為に前年来廃止休鉱するもの、或は事業の一部を縮少するもの相踵ぎまし たが、近時物価労銀等稍々低落したる結果再び操業を開始し、或は各般の設備を整理拡張して秩序的作業に復する等、漸次復活の機運に向いつつあります。即ち 之を鉱区に就て見まするに、併合後逐年増加の数を示して一時異状の殷盛を極めまして、大正十年には五百五十五鉱区となり、明治四十三年の始政当時に於ける 鉱区数二百四十六に比すれば二倍余に達しましたが、経済界の激変後は稼行鉱区大正五年の二百五十二を最高に、漸次減少して大正十年には七十となりました。 併し大体より見れば大なる進歩でありまして、始政当時の四十六に比して尚五割を増加して居ります。


(七)
二 鉄

鉄も亦経済界の変動以来各種事業の不振に依り、其の需要減退して市価惨落し、各製鉄所は相踵ぎて事業の縮少を行い、鉄鉱山亦何れも減産を示しましたが、現 在は極力操業費の低減に努め、相当の利潤を以て事業を継続しつつあります。之を鉱区に就て見るに、明法四十□年に於て五十七に過ぎなかったものが、大正七 年最盛況を極めたる当時は、三百九十二鉱区に達しました。爾来漸減して大正十年二百五十三鉱区に減少し、稼行鉱区は明治四十三年には十四に過ぎなかったも のが、大正十年には三十二鉱区に増加した

三 黒鉛

鱗状黒鉛鉱業は、大正六年前後に於て未曾有の盛況を呈しましたが、爾来好況に乗じたる結果生産過剰となり、粗製不統一に加うるに、大正七年以後需要減退し て市価暴落し、萎靡不振の状況にあります殊に大正八年以来錫蘭産黒鉛の内地輸入増加し、朝鮮産は漸次内地市場より駆逐せらるるに至り、鉱山事業一層困難を 極めました。然れども昨年八月以降は為替相場漸次回復の趨勢を示し内地市場に於ける需要も亦漸く増加せんとする傾向を帯びて来ました。
 土状黒鉛は戦後内地の需要増加と共に一時盛況を呈したるも、大正十年海外市場の不況と生産過剰とに依りて市価低落し、大正十一年に入るも尚回復の域に達 しませぬ。然れども現今は内地滞貨の漸次消化せられつつありまして、生産移出共に増加の趨勢を示して居ります。


(八)

道路
 朝鮮に於ては古来殆ど道路として見るべきものなく田□阡陌を歩行して往来するに止まり到底人文の進歩経済の発達を期することができませぬ故、総督府設置 以来其改修を企画し、先ず全道に亘って道路網を確立致しました。此道路網は原則として国費を以て築造すべき一等道路十七線、延長七百九十三里余、二等道路 七十九線、延長二千三百九十三里、合計三千百八十六里とし、之を全道の主要幹線としまして、之れに地方費を以て築造すべき三等道路四百十九線、延長三千三 百八十三里余を加え、之によりて地方交通の脈絡を図り、著々進捗したる結果、既成道路の延長大正十年度末に於て一、二等道路二千五十三里となりまして、道 路網の総延長三千百八十六里に対し約六割六分い当り、三等道路の延長は千七百余里に達して、道路網の総延長三千三百八十三里余に対し約五割の改修に当り、 今日い於ては各主要なる都邑市場間には、概ね旅客用自動車の交通あり、又牛馬車荷車等の通行せざるなく、自動車の如きも其運転区間延長一千六百余里に亘り 全道の交通全く昔日の俤を止めざると至りました。


港湾
 朝鮮に於ける交通貿易の発達に伴い港湾を修築して海陸連絡の便を図り、併せて税関を整備して関税行政の敏活を期せんが為、旧韓国政府時代既に総額四百万 円を以て釜山、仁川、鎮南浦、平壌、元山、新義州、群山、木浦、清津、城津及馬山の十一港湾に、夫々応急の施設を行い、総督府設置以来仁川、釜山、鎮南 浦、元山等の主要港湾に対しては、更に相当大規模の企画の下に改修に著てしました。即ち左に其概略を述べます。

イ、釜山

釜山築港工事は第一期計画に於て、鉄道桟橋二個の築造、海岸荷揚場の整備、海底の浚渫を行いましたが、第一桟橋は明治四十五年に完成し、南側には三千噸乃 至四千噸の汽船二隻を同時に繋留することを得、北側突堤の上には鮮満急行列車を引込みて船車連絡の便を開き、第二桟橋は其北方に第一桟橋と併行して築造し 七千噸乃至二万噸の汽船二隻ずつ同時に四隻を片側に繋留することを得るようになりましたが、尚時勢の進歩に伴い、更に其大拡張を要しますに依り第二期計画 を立てて大正八年度以降十一ケ年の継続事業として工費約九百十八万円を以て其工事を現に施行しつつあります

ロ 仁川

仁川港は京城に接近せる港湾でありまして枢要の地位を占めて居ります。然れども潮汐干満の差三十三尺に及び、繋船及荷物の揚卸に不便を感ずること少からざ るが故に、閘門式船渠を築造して、四千五百噸級の汽船三隻を同時に繋留することを得しむこととし、大正七年十月に其の工事を竣え、目下盛んに利用せられつ つあります。

ハ 鎮南浦

明治四十四年度より大正三年度に至る三ケ年継続事業として、開渠式船渠築造の工事を起し今や三千噸級以下の船舶二隻を繋留することができるようになって居 ります。

ニ元山

大正四年度より同十三年度に至る継続事業として予算三百四十九万余円を以て目下築港工事を施行しつつあります。此仕事は三千噸級の汽船二隻を繋留する繋船 壁の築造、錨地の浚渫防波堤の築造が本体とせられて居ります。


鉄道
一 沿革及現状

朝鮮に於て鉄道の始めて布設せられましたは京城仁川間でありまして、其開通は明治三十二三年頃でありました。是より先き韓国政府は積弊の後を承けて、内政 の刷新、人文の開発其他施設を要するもの頗る多く、就中鉄道の敷設は最も急務とする所でありましたが財源涸渇して自ら経営に当る力がありませぬ。依って先 ず日韓の間に条約を締結して京仁、京釜両鉄道を敷設する権利を認めました。然るに時恰も日清戦争開始の際でありました故、一先ず条約の細目協定を他日に譲 り、其の後実行方法を決定せんとするに当り、事態の紛糾を来して荏苒歳月を経て居る間に、京仁鉄道の敷設権は米国人『モールス』なる者の得る所となり、同 人は其の工事に著手しましたが、幾ならずして之を邦人組織の組合に於て引受け、会社組織の下に上述の如く京仁間の開通を見るに至りました。次に京釜間の鉄 道は、三十四年に京釜鉄道株式会社を組織して、工事に取り掛りましたが当時極東の風雲漸く急を告げ来たったので工事を急ぐこととなりまして、其の中に日露 の開戦となって抜政府は京城義州間に専用鉄道を急設し、戦役中に京釜鉄道と共に、京義間の鉄道が開通せられました。


(九)
 之に先った京釜鉄道会社は京仁鉄道を買収して、併せて経営して居りましたが、戦後政府は同会社を買収して我が国有お鉄道として経営することとなり、総督 府設置の後総督府鉄道局にて之を経営し、爾来四十四年には鴨緑江橋梁を竣工し、一方南満洲鉄道の安奉線の黄軌改築相俟って、鮮満間の鉄道聯絡を全うし、茲 に国際鉄道の列に入り、欧亜の交通に至大の便を与うることとなりました。次で大田より群山木浦に至る湖南線、京城より元山に至る京元線を敷設し、又元山よ り北会寧に至る咸鏡線の建設に著手しまして、目下同線は南部は西湖津港迄、北は会寧より清津迄と、其の途中より分れて朱乙(温泉所在地)迄開通し、全鮮に 於ける現在の国有鉄道の延長一千百七十七哩に達して居ります。
 又其の経営に関しては、大正六年より満鉄に委託することとなりまして、目下同社と政府との間に於て、建設改良の計画及之に要する資金は総督府より支出 し、其の以外の業務は一切満鉄に於て引受けて経営する契約を結んで居ります。併し朝鮮線(満鉄にては満洲に於ける同社有の線を満洲線と云い、委託を受け居 る鮮朝鉄道を朝鮮線という)の損益は満洲鉄道道とは別個の勘定となり、朝鮮線より生じたる収益は総督府に納め総督府は之を鉄道公債の利払に充てて居りま す。
 以上は国有鉄道の沿革と現状でありまして、私設の鉄道の普及に関しては総督府が、始政当時より奨励して来ましたが、漸く五六年前より多少其の敷設を見る に至りまして、近年補助金の交付額を高めて年八朱となし、同時に戦後財界の好況に伴って、企業会社の続出を見ることとなりました。現在開業哩二百七十七哩 未開業一千四百哩、其の経営会社は十社余に上って居ります。

二、設備

上述の如く国有鉄道の現在営業哩数は千百七十七哩でありますが、其軌間(レールの幅)は全部四呎八吋半で之を内地の三呎六吋に比較すれば一呎二吋程広く、 内地では之を広軌と申しますが、是は世界の標準軌間でありまして、朝鮮に於て此の軌間を採用しました理由は云うまでもなく大陸鉄道として満洲並に其聯絡の 便を図るのでありました。現に旅客列車は釜山より奉天まで直通運転を行い、戦前は長春間の直通列車もありましたが戦争中から西伯利経由の欧亜旅行者が絶無 となりて廃止せられました。又支那鉄道とは釜山北京間に車輛又は列車の直通を行うの計画がありまして、現在は車輛、列車の直通を行わざるも、聯絡輸送は鉄 道省線満洲線と共に、既に数年前より開始せられ、一冊の切符帖で北京天進より漢口、上海までも往復するの便あるに至りました
 朝鮮鉄道の機関車も客車も貨車も軌間と同じく内地鉄道に比して大なることは、御各位の実見通せらるるりであります
 又私設鉄道の軌間は国有鉄道と同様広軌のものと。二呎六吋の狭軌のものとの両種がありますが、現在に於ては狭軌のものが多くあります併し狭軌と雖も内地 の地方鉄道よりは一般に延長大にして地方開発上多くの貢献を為しつつあります

三 鉄道政策及鉄道計画

朝鮮の面積は内地の本土と略同様なるに朝鮮に於ける鉄道の現在延長は内地本土の鉄道延長に比して其二割にも足らぬ程でありまして鉄道の普及は半島開発上最 も急務とする所であります
 故に其増設に付いては総督府に於ても頗る努力しつつありまして、鉄道普及の方法としては、第一財源を公債に求め、国費支弁を以て国有鉄道を敷設するこ と、第二地方線路は私設事業に依らしむることとし、年々尠からざる補助金を支出して、民有鉄道の奨励に努め、之が為には朝鮮私設鉄道補助法の制定がありま す又従来補助金最高年額は二百五十万円でありましたが、今期議会の協賛を経て之れを三百万円に改正し、之れと同時に補助期間の十年を十五年に延長致しまし た。
 国有鉄道として現在建設中の線路は咸鏡線の残区間延長二〇八哩、鎮海線の鎮海昌原間十三哩、平元線の平壌高原間一三二哩でありまして、今後数ケ年間の継 続事業として行わるべきことに確定せられて居ります。
 私設鉄道も亦現在各社が各地方に於て線路建設中でありまして、建設時代と称すべく、其株主は内地に於ける内地人が大部分を占め、朝鮮人は五分(百分の 五)に過ぎませぬ。目下内鮮を通じて財界の不況により、資金調達に大なる困難を感じて居りますに依り、官民協力して其方策を講じ、事業の遂行に努めつつあ ります。又其新設は本年度に於ても、約百哩に達する予定であります。(完)
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データ作成:2003.9 神戸大学附属図書館
韓国・中国が言う「歴史教科書問題」dora944さん

僕は中学生です。
韓国・中国はよく歴史教科書を改正しろとか妄言を言いますが、
具体的にどこを変えろと言っているのでしょうか。
「日本が植民地支配した」
「ハングルを禁止し、日本語を教えた」
など都合のいいことばかり書いてあります。

これだけでは足りないのですか。

米紙「中国、高句麗史など根拠のない歴史歪曲」より・・・

 米国のワシントンポスト紙は22日、「中国が歴史論争で根拠のない主張をしている」とし、高句麗史をはじめ中国の歴史歪曲事例を紹介した。

 同紙は「中国の歴史関係の本は高句麗が中国内の少数民族として始まったと記述しているだけでなく、日本の文明も紀元前209年、不死の薬を探しに出た 1000人の中国少年、少女の植民地から始まったと記録している」と批判した。

 また、中国の一部サッカーファンは中国がサッカーを考え出したと信じており、ゴルフクラブの会員らはゴルフが唐の時代から由来したことを示す考古学的絵 が発見されたと主張すると指摘した。

 また、大衆的な歴史関係の本は、イタリアのピザやパスタも、中国から渡ったものと主張すると、同紙は報じた。 

朝鮮といい、シナといい・・・あえて何も言うまい。。w

(・・・と思ったけど日本って教科書問題でよく内政干渉を受けるけど なんで朝鮮や中国の捏造教科書の批判はしないんでしょうかね。)
韓国は日本を舐めているのですか?日本海の名前を変えろと言った り、竹島を不法占...koukou07282000さん

韓国は日本を舐めているのですか?
日本海の名前を変えろと言ったり、竹島を不法占拠したかと思えば挙句には
対馬まで韓国領土という始末、、いつまでも戦争責任で謝罪やら賠償金やらとまあ、
舐めてませんか?


ソーシャルブックマークへ投稿: Yahoo!ブックマークへ投稿 はてなブックマークへ投稿 (ソーシャルブックマークとは) ベストアンサーに選ばれた回答gengendaiさん

今後ますますその傾向を強めてくるでしょう。

経済的に国力がついてきて、次ぎは国際的に認められたいと考えるようになります。ソウルオリンピックや日本との共同開催ではありましたがワールドカップな どで自信を強めてきました。次第に世界中の国際機関へ人材を配しつつそのための英語力にも力を入れてきました。国連事務総長立候補もその一環です。先日も 国際気象機関の理事国に初めてなったと喜んでいます。現に韓国は先進国首脳サミット(G8)に出席する資格があるとさえ言い出しています。

そのためには着々と世界に影響力を認めさせるだけの実績を残す必要があります。

ところが韓国の取ったその手段とは、どちらかというと現在アジアで様々な分野でトップを走る日本をあらゆる手段を使って引き摺り下ろそうとすることでし た。それには歴史問題が格好の材料でした。こういうところが韓国と日本が差を大きく広げる原因の一つであるとも気付かずに。

国民感情としても、国力が大きくなるにつれて洗練された民主主義を求める方向よりも、むしろ民族主義的方向に進んでいるように思えてなりません。

大人の韓国とまともに協力し合える日は、かなり先になるかも知れません。


先ず、竹島は古くから日本の領土で有る事に間違いは無い。韓国も自国の領土で有ると主張し、日本は国際裁 判に提訴する予定でしたが、韓国は、それには応じず、軍事力で竹島を占領し、韓国の国旗を掲げ、兵士の宿舎も建設し、兵士が機関銃で、日本からの領海侵犯 が無いか、24時間体勢で見張っている状態ですから、日本の漁船も勿論近ずく事も出来ません。
日本政府も占領されたときにすぐ、何らかの方法で対処出来なかったのか、今更ながら悔やまれます。
この様に既成事実を作られてしまってからでは、話し合いで解決する事は、不可能ではと思います。
日本は何事も話し合いで平和的に解決を望んでいるのですが、戦後半世紀以上経過した現在でも韓国は反日教育をしている様な国ですから、非常に日本に対して 敵意を抱いて居る様に思います。
だからと言って日本は武力で解決する様な事は無いものと思いますし、それは避けなければ、先々危険な状態になると思います。
北方領土は日本固有の領土でありますが、この問題の解決にはまだまだ時間がかかるものと思いますし、今のプーチン政権では解決は難しいのでは無いでしょう か。
北方領土は戦争終結以後にソ連が一方的に取った領土ですから、これは絶対に返還して貰わなければいけないと思います。