日々草<時には浮かぶ雲のように>
5月3日

■人の心はどんなに着飾ってもすっきり と変わることができないものらしい。会社の社長をしているOさんは、ある種尊敬もさ れていた。経営手腕もあったと思うが、自己主張が強く自分の判断基準で全部を仕切っていて、それ も成功の基準だった。 ■資金繰りの中でOさんは得るべきでない利益 を得ようとして、それがどうも間違いごとだと気がついてもこれを正すことは無かった。 ■それが、知人の助言で明らかに誤り と言うことでご破算になったら、今度は自分のために心魂こめて助言していた知人を、まるで敵のように揶揄し始めた。そ して、他人の物が自分の物のように思えているらしく、平気で、自己主張し始めた。代表で自分名義になっているものを、自分のものだといい始めたのだ。 さ すが、名を成し立派といえる人は、かくも見事に人のモノを獲得するものだろうか。代表者というものは、心を静 かに持って、代表権で得たものは、その組織のものだということを、しっかりわからなければならない。大きな仕事をする人はす ごい手段を行使するというが、こんなやり方で、会社を大きくしていたのだなと気がつくとなんだか、尊敬の皮がはがれて、悲しくなってしまう。人 が、必要以上によい言葉を使って、着飾っても、その心根はなかなか変わらない■一生懸命で人生勉強していたO社長だったはずなのに、人は人格 をかえられないのか。優しげに振舞っても、心根は「我」になってなかなか変わらない。人格を向上 すると言うことは実は、心底から変わらなければだめなのかもしれない。シンデレラのようにきれいに変わりたいのにね。   


<21年4月15日

千葉県の知事に、森田さんが当選した。 
自民党系だが、実は社民党も押していた。政治の奇妙な馴れ合い?と思うけど
のめげない森田さんの姿勢は良い。さすが元役者だ。そこまでやるか?が衆知の目を集めた。
 本 当にやれるかどうかは今後の結果だろう。
有名人が首長をやると、はなからメディアが付いてく る。
話題性があるから宮崎県知事も、大阪府知事もTVの話題になる。
そ の経済効果は計り知れない。ものすごい金額になるだろう。
 役者を使うとはそういう意味で良い
かもしれない。でもこれで見えるものがある。
 政治って、本当は人気者が勝つんだ。
誠実も実力も関係ないんだね。でも、今までのように談合や古いことだけを是とする議員の体質は本当
にうんざりだ。
貧乏でもアイディアがあって本当に地域の役に立つ人が選ばれる時代になるといいね。

メディアというと、チレジになるということで、もうじき今までのテ レビが、見られなくなる。
経済効果を狙ったことだろうが、弱者にはつらいね。
なんで、双方放映ができないんだ。そんなことは今の技術で行けば簡単にできることだろうに。
わざわざ新しいTVを買わせるなんて。 環境のためにも廃棄はおかしいでしょ う?
NHKを見ない人も多くなるのに、各局の視聴料まで今後は増えるだろうね。 本当に
弱者にやさしくないね。

第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
で、日本は優勝した。      
21年3月25日

私の個人的な思い入れでイチロー選手を応援していたが
なかなか打てなくて、本当に心配した。
打てないということが、そうですかと容認されない立場にあって、苦悶しただろう。
やっと最終回の延長戦でVヒットを飛ばして2点入れたときは、勝手だが、
本当にほっとした。本当によかったと思った。
城島選手が初回からずーと捕手をやっていたがやっぱり、このリードは大きかった。
私の勝手な思いかもしれないが彼こそ大いにほめてあげたいと思う。
目立つのはピッチャーばかりの野球だけれど
WBC優勝戦は本当の意味での野球の面白さを感じた

ピッ チャーだけでなく、全選手一丸となってプレーする模範的な決勝戦だったと思った。
原監督が本当によく落ち着いて韓国のことも日本のことも差し障りなく
話し ていてなんだか本当によかったと思った。
私の子供も同じ東海で、原選手たちが甲子園に行ったときも、
練習しているときも先輩たちが大好きでいつも応援していた。
自分も甲子園に行くんだと練習していた。
そんな子供の先輩が世界の原になったんだなと思うと特別の感慨がある。
子供が大きく羽ばたいてくれると言う
ことは本当にうれしいことだ。
選手の皆さん。本当におめでとう。
そして日本国民に勇気をくれてありがとう。



わ、わ、わーっ!  歯が痛い       18/8/20〜23


 八月十六日から翌日まで、
長野にある白樺湖の車山という所のペンションに仕事を兼ねて行きました。
暇で行っているわけでないから、たった一日の休養もやれやれやっと来ました
よ。と思わず言ってしまう疲れよう。
これはもしかしたら年の精かな思わずおもっていたら、
友達曰くの「絶品」のイタリア料理を食べ終わった頃から下の臼歯
が痛むでもないのに、心臓が出張してきているような「どくん、どくん」と膨張
しているような音と強烈な不安感が襲ってきた。
あれ!出血しているのかなと思うが、そうでもない。
そのうち、ずきんと、第一回の激痛が襲ってきた。
 こんなペンションで、痛いなんて言ったら、みんなにも迷惑が掛かるだろう
し、こんな田舎に救急車を走らすことも私の好みの範囲にない。
明日になれば、帰れることだし、空笑い、空返事、考えられない注意散漫な時間
を「とにかく明日になれば」と鬱鬱と過ごして翌日になったが状況は全く改善さ
れるどころか、より痛い継続時間を過ごす事になった。
帰宅して、とにかく歯医者に連絡して、翌日医者に行ったけどその痛さは、言う
に及ばずちょっと歯冠に触れようものなら、55キロの体重がぴょんと跳ねる
くらいの激痛をともなっていた。怪我をしたときも、心臓の手術をしたときもそ
れは痛い思いをしたが、痛さにおなじものはどうもないらしい。どうも、訳のわ
からない痛さというものは異様に怖さを伴って痛い。
翌朝、いの一番に歯医者に行くと、痛さが様変わりしてほんのちょっと落ち着いた。
医者に処方してもらった痛み止めと、抗生物質の双方を、帰宅してまるで薬物患
者の常用者のような気持ちになって水で一気にのみほした。たったの1時間で、
薬の劇的効力を確認できた。痛さがすっかり消えてしまった。しかし、頭の中に
芯のような痛さが残り、「これが本当は痛みの基か」という鈍い痛さで、
それも
「今に又ぶり返してやる」と言っているような気がして、
私にとっては考えられない慎重さで時間通り薬を飲み続けた。
 実はまだ、処方の途中なのだが今はとにかく収まっていて
やっとこの文章を書いている。
なんだか、命まで儲けたような気がして、頬に手をやったり、のどの膨れたリン
パ球をゴロゴロ触りながら、
まさしく悪夢のような三日間を振り返っているところである。

初秋に思う    18/8/14

二階の事務所のベランダに植え付けたミニトマトが今年は親指ほどの実を稔らせた。
その数は、一日わずか1〜3個、収穫と言うには笑ってしまうが、
私が渡すざるに小さな子供の小さな手が引っ張って取って入れるには丁度よい。
 小さな子供がどうしても泣きやまない時には、
「はい、お仕事をしてきて!」とざるを渡す。
 涙が一杯でも小さな子供はざるを受け取ってわずかでも黄色く色づいたトマトを摘む。
 ベランダから小さな子供が見る一株の実ったトマトの枝の先には、青い空だったり、
電信柱の上に泊まる仏法僧だったり、トマトに絡んで咲く紫色の朝顔が
きっと見えているんだろう。

ベランダの目隠しより低い背の小さな子供が見る世界と違って、
私は喧噪の町並みを見る。
朝は、早くから配達人や通勤の人たちの行き来があり、
昼は閑散と客が行き来する。
夕方は、どれもが騒々しい音と一緒に生活の臭いも聞こえてくる。
そんな中のトマトは、私の一日一回の水やりに命をつないでいる。
「大きく育ってくれて有難う」わたしは育ってくれるトマトがいとおしい。
 トマトの放つ青い香りが、私の忘れていた青春時代の畑を想い越してくれる。
 今その時と同じ風が吹いた。秋の香りと一緒に。

人間の細胞と性別             18/8/23
 
人間一人の体には二十兆個を超す細胞があるという。
そしてこの細胞を司るDNAの一つ一つが活性化したり、疲労化したりして我々
の生存を維持し続けている。二十兆といえば地球に住んでいる六億の人間の数に
比べればその莫大な数字に驚かされる。
二十一世紀になってもまだ、血の一滴も造り出せない人間の知恵からすると、そ
の数は、まさしく神計りと言うにふさわしい。
 そして、生まれた「人間」は男と女になった。
これは、二十世紀までの話である。
二十一世紀の平成十七年には、この性別も最早用をなさない。つまり、生まれる
前に男の体と女の体ができ、その後その体の上に男のあたまと女の頭が形成され
ていくことが判明したのである。
つまり、人間の形成段で性的には二種類、頭脳は三種類の形成が、別時間に形成
されたことになる。学説では二種類と言われているが三種類にしたのは私の説で
ある。
 母胎の健康状態、母方、父方の遺伝もあるだろう。様々な時を経て一人の世に
も貴重な人間はこうして造られた。
男の体を有する男と、
女の体を有する女と
男の体を有する女と
女の体を有する男と
双方に体はあっても全くこれに頓着しない中性も必ずいる。
この五体の人間がこの世に生まれて来たのは、まさに母胎の中で構築される
「性」が、瞬間の生成でなく、時間差があって生成されているからである。
17/8/24

この現実を、今は理解し人間を、男だから、女だからと教育する時間は過去のも
のとなった事を知らなければならない。
良く性を理解すると、神の世の完全さとともに
「どうしようもない不完全さ」を感じる。
人間は生まれながら平等であると声を大にしないと「不完全」さに埋没する。
今までは、体型上で、男女に二分してきた人間の性が、
五種類以上に分別する方が
「心の内で安定する」と、学説から証明されると「はじめて平等」が分かる。

 人間は、自分より劣っていると思うと、
相手が何をしていようが見下す習性がある。
その劣っているという判断の基準が「男の定義」や「女の定義」だったか
ら、男の「定義」に反する者は「弱者」になり、
より弱いと見なされる「女」の定義に反する者は、
畜生扱いされ時には「売り飛ばされ」たりした。

私たちは、神が与えた性の不完全さの中に「人間の性」の本質を知る。
「人間は、本来完全平等である」ということを認識しないわけにはいかない。

二十兆以上の細胞を司るDNAを、同じ母胎のなかに細胞分裂して生み出し「人
間の個」を派生させ、そして、個は、ホルモンの彩なす中で「人格を」さえも、
母胎の中で構築させていく。

 自然の不思議さは、父だから、母だからの範疇を越え、自分だから、お前だか
らの範疇さえ越えている。
例え、そのからだが「生まれた瞬間から萎え続けていて」も
「病持ちであって」も「人として生まれた瞬間」から「他人に指図される性は
ただの一つも存在しない。」

命の尊厳は、実はこの分裂し、形を形成し、思考という
メカニズムさえ通り越して存在する。

たった一滴の血さえ造り出せない「人間」が、命を創り出す時、命の個体は、自
分自身の「挑戦」として核分裂を繰り返す。
その速度は、宇宙規模であり、その数は人智を遙かに超えている。

「人格や、体格に文句がある人間は、たった一つの細胞を造ってみるがいい。」
その大きさに愕然とし、その遠大な知力に脱帽してしまう。
性は実は不完全であるから「完璧」なのである。

ミミズが、雌雄同体であるから、低級であるという。
単細胞が祖体で、人間がそのような形態で変化し生まれたという。
元がそうだから人間なんてという。
そうだろうか。
二十一世紀の現在に於いてさえ、すべての疑問に答える正解はない。
だから、人格について大いに理解し、
「生きている誇り」を失うことなく、
『平等の権利』を、施行しなければならない、
つまり、
「侵すべからず」「恨むべからず」「疎
むべからず」「常に理解し」「愛すべし」である。 

政治に幸福の糸口がある
  
 選挙の関係で2750枚の残暑見舞いの葉書を出した。
約5000名の旧来の支持者の中で絞った枚数だったが、それでも反応はきびしい。
 政治なんか飛んでもありません。
と声高に言う人に取って
「本当に政治はどうでも良いんですか?」とむなしく問うてみる。
日本の人口の
50%は、いつも政治に背を向けていてその権利を行使する気もない。

私が、政治に幸福の糸口があると思ってからもう50年になる。
私は小中高校の教育の中で、一介の、小さな人間が多くの人に
多くの喜びをもたらす方法は、
実は政治の中にあると確信した。
 政治はいつも、心ない人や、我利亡者の私権のために利用され、
これを糺(ただ)す人は常に糾弾された。

 世界中、一塊の誤認識を常識と捉えて風邪のように人を翻弄するのが、
宗教戦争である。
世界史のなかの重要な戦争史は、どうひいき目に見ても
「一握りの宗教が、世界制覇にかられて引き起こしたもの」でしかない。
政治を宗教が利用し、あるいは、宗教が政治を利用した。

歴史書は真実を教え、真実は青年の気のなかに
「政治」の中に宗教でない「信念の結実」を習う。

私も、争いのない「政治」を、
「幸福の糸口を持っている政治」をどうしても
「人民のために」引き戻したいと思う。
 そして、立候補を繰り返し二十年になる。

なぜ、そんなに政治ばかり追い求めるのですかと言う人がいる。
政治を行っている人の中にも、秘書の中にも純粋にそう私に問う。
明らかに「敗者の選択を求めている」のがわかる。
しかし、私は止めない。政治が混乱すればするほど止められないのである。
いつの日か、政治が夢となっていた。

「私にやらせて見てください」
こんなに懇願しているのに、得票数はのびない。
私は、政治が実は本当にとても流動性に満ちているのを知っている。

人が本気になって政治をすれば、世の中は確実に変わる。
権利政治が邪魔しなければの話である。
 私は、政治の場でなく、多くの実体験を積んできた。
政治ではないが、それらは、確実に実をむすんでいる。
しかし、政治は本当に身近にあるにもかかわらず、多くの人はこれに触れることも、
これを活用することも拒否する。
 政治拒否に対して、正当性さえある。
政治が良貨を作る現場を知らない現実がある。
私達の選んだ政治がどんなに市民生活を向上させるか、
安心の未来を構築するか。そんなことは私達の実生活に関係ない。
近いと思っている政治が実は遠いからである。
 
政治家の資質とは、何でしょう。
二世議員は全く何もしないで地盤を手に入れる。
おかしいと言っても実際がそうである。
私にはその地盤もない。スタートが政治の世界では違うのである。
多くの人はおかしいと言う。
しかし、その多くの人がその地盤に翻弄されて
何も変化しない生活で不安に駆られながらも生活している。
二世議員を支持している人の多くは、政治なんか変わるわけもないと思っている。
 ああ、こうして世界は作られるのか。

 遅々として進んでいき、政治に翻弄され、そして又、混乱の世になるのか。
歴史書から一歩も出ない政治の世界を、私は今も抗いながら生きている最中である。

みなさん、世界の黎明をつくる、無宗の政治を実現させましょう。
「人が殺し合い憎みあう」世界から
安心の世界を作ることに協力してください。
私に協力してください。

「度肝を抜かれるショック」

昨日、倫理の広報の集会があって行きました。18/8/28
 相模原市の博物館で待ち合わせて「エベレスト」という映画を「全天空」暗幕
で見ました。ものすごい迫力でなんか大変な「得」をしたような気がしました。
私にとって、この迫力はかって横浜世界博覧会以来の
「度肝を抜かれるショック」でした。
「エベレスト」登頂を、360度の魚眼レンズで撮影したもので明らかに観劇者
は宇宙から登頂者を見ているようでした。これはすごい!
私はすぐに子供達に電話し
「夏休み一杯だから見て於いた方が良い」と伝達しておきました。
「エベレスト」(チベット名チョモランマ、ネパール名サガルマーターは
ヒマラヤ山脈にある世界最高峰)が本当に限りなく高い山である事を実感し
「なぜに命を掛けてまで登山するか」と思いました。

私が政治を志し、止まらない現実となにか似通った郷愁がありました。
                      
 17/8/30
二日後、近所のお子さん2人(五年生)を連れて、意気揚々と「エベレスト」を
見せに行きましたら、「よっちゃった」と言って
感想どころではないようで非常に気持ち悪そうでした。

私も二度続けて見たために食傷ぎみになっていて、前回の感動が蘇りません。
子供達が酔ったのはカメラの焦点があっていないところが前後十回ばかりあって、
ぶれた画面が、焦点移動を激しくしたことだと思いました。
大人の感性と、子供の感性が相当違うのが分かりましたが、大画面が揺れるのは
感性の豊かな子供にはきついのかも知れません。
幼い子を連れてこなくて良かったと思いました。
この感動は少々反動の遅くなった高齢者には良かったかも知れません。
 内容が本当に良かったのに、身体的苦痛が派生して苦しいんでは
心の中を考慮する暇もなかったかと、残念でした。

感想文

 日頃指導をしている子供達の感想文に付き合わされ
何年ぶりかの「感想文」を指導することになりました。
読書したのが「探偵修学旅行」というものでした。
私自身、感想文では、何回か入選した経験もあったもんですから、たやすい(容
易い)ことだと、思ったのですが、ただ楽しい話題の感想文なので、
その本を「読んだことにより人生観が変わった」
ような記述がどこにも見あたらない困った小説でした。
 子供達はその材料を、こねこねこね回して高年生らしい感想文を書きました。

私は「面白いだけの感想」は、実は「何も与えてくれない」。
昔の教養か、倫理か、人生観がどこかに含まれて
読む者に感動を与えてくれるのが本当の読書と思いました。
そういう意味では、ただ面白さを羅列させる本は、漫画であって、いや、漫
画にも心をえぐる貴重なものがあるのでこのように一概にいえませんが、
沢山の本があっても、名作と言うには芯が抜けている本が多いのは
平成の現在の風潮であって、作者の気概がない。

これを多読しても「とても行間を読むような本」にはならないと思いました。
本を書こうと思い立っていても、
本の真ん中に「自分を伝える」努力が見えないと、ただの記述書になってしまう。
子供達の感想文を指導しながら、ふと思ったことでした。

   宇宮慈光さん      18/8/31

宇宮慈光さんにやっとお会いできました。八月三十一日のことです。
と言っても夢の話です。宇宮先生は実は今年(二月にお亡くなりになっているの
です)亡くなられても、現実の社会からのお知らせもなく本当に気をもんだ事で
したが、先生はお元気そうで結構太られたご様子に見えました。私の開いた参加
者が集まった講演会に五?六人の方とお越しになり、後方で静かに聴いて下さい
ました。先生は、真っ白い着物をたっぷりと着ておられ、何枚もの着物は、透け
ている様に見えました。
 夢ですから、気をもまないでください。
私は、先生がお亡くなりになる前に、大変気をもんでおりました。
しかし、先生がお亡くなりになった時は、何も気の伝達もありませんでした。
二ヶ月たって、桜の花が咲く頃、先生のご死亡の話が伝わってきました。
そういえば、二月に、先生のご訪問があったのですが、私が朝までの仕事
で寝て居りましたから「ちょっと、後にしてください、すみません」といいましたら、
その気は、ふっとなくなりました。
先生らしく気を遣われているのが分かりました。
でも、せっかくおいでいただいたのに、お役に立たなかったと心痛していたのです。
 
講演で先生は、私が病気の「気の話」をしているときちょっと心配そうでした。
「大丈夫ですよ、先生、ここを間違えたら大変ですよね。本当の事をちゃんと話
しますから」私は、そう応えました。

先生は、いつも「気」に関わる話を心配しておられました。
つまり、弟子の発言にいつも困っていたのでした。

 弟子は、相談者から「気」に関する話を聞かれたとき、「それは狐付きだ」
「それは祟りだ」と、返事を返していたのです。
私が「おかしいよ」と言ったとき、それが間違いだと、気付かれ潔く
「弟子の方が間違っていた」と決断されたのでした。
それから、先生はあえて、己の正義を貫かれ、亡くなられたのですが、
非常に後悔の多い最後だったようです。八十五歳でした。

自分の意識の中で確信し、
人を導いていたのにそれが根底から崩れるということ
があったらどんなにかなしいことでしょう。

しかし、先生はそれを認める知識が有った訳です。そこらへんの偽宗教家は、そ
の知識もないので嘘の事に嘘の衣を着せて平気で嘘の宗教を教え広めて、
金儲けに余念がない訳です。
その点、慈光先生は真の求道者だったと思います。
私は今は、何もして上げられませんけれども、いつの日かかならずご法要して差
し上げたいとおもっています。18/9/9

 水滸伝

 多くの豪傑が、梁山泊に立てこもり天下に事を起こした。  
約千年前の物語りである。
百八人の豪傑は、それぞれ時の高官から陥れられたり、雪辱を与えら
れたりして、社会を見限って立てこもった訳であり、
人を殺すことでは、全く躊躇もない。

 殺される人間の長い人生についても、
英雄が痛みつけられる悲しみに比べて何の配慮もない。

私は、青少年にあたえる読書としては進められない物だと思った。
弱い人間、たまたま触れあっただけで殺される人間に対して、
あまりにも英雄の殺伐とした心がゆるせない。
英雄伝というものは、ある部分人格無視の部分がある。

 社会環境に倫理観を求むならば、水滸伝は私の推奨すべき本とは言えない。
 
 孫悟空は、非常に面白かった。
 
 敵が妖怪であると限定されているので、少しは水滸伝の非人間性に対抗できる。
私は、斜に物事を判断するから、この孫悟空にしても多分やっつけられたのは人
間であったろうと思うので、殊に、命に対して心から痛快と言うことはない。
現在でも、仮面ライダー、とか怪獣物語で、悪人役の人間の如き者が、やっつけ
られて消されたり爆発したりその数は、莫大であるが、このものたちに「その、
スタイルに描かれる姿になるためにはなんと多くの時間が費やされていたのだろ
うか」と思うと、「ついつい、やめてくれ」と思う。こんな破壊英雄伝は、人間
の心を殺伐とさせるだけで、温かい心や
小さな者に 愛情が注げる人間育成にはならないと思う。

そういう意味では、被害者は別とするなら、
戦争物や、豪傑物には、人間性や愛情を培うものはないと思われる。

 私は弱い人間の仲間だから、滅ぼされる人間の痛みを思う。
特に故なく亡ぼされる人間について、血の涙と、
何もしてあげられない痛恨の念が、去就する。

奇声を放って死滅する風に描かれる人間に付いても、
ああ、この子をこのように必死で育てた母が居たろうにと思う。

一人の人間が、至ろうが至るまいが
「ここまで育って居ると言うことが、涙が出るほどありがたいではないか」

霞の様に描かれる人間のごときものの人の情を、
影のように見過ごしてはいけない。
 見過ごすから、人間の心が獣の様になってしまう。
私たち人間に、心や情があるから、世代の頂点になったと思う。
弱さや悲しさが理解できる人間が多くなったとき、
本当の優しい社会が顕現すると思う。もう戦争はいやだ!
                   18/9/12

  テレビ「女王の教室」から 

中江藤樹という人が、非常に秀でた能力を持って村を治めていた。ところが本当
に村が他村を引き抜いて一番になったとき次の勢力が生まれた。
 批判勢力に弱かった中江藤樹は、良いことをした分非常に攻められ、とうとう
村を追い出されてしまった。
いきさつは良い。この村は後に中江藤樹に再度頼んで、村の起死回生をお願いす
ることになった。
中江藤樹の政治力とがんばりは群を抜いて村人をしあわせにした。
ところで、自治会によるいじめや、学校などのいじめ、地区によるいじめで、
いじめられて、その活動を停止している人はとても多い。
現在の話しです。
隣人の庭の葉っぱでも、いじめは行われる。
ゴミを右に掃きためたり、左に掃きためたりする。

他意はないなんて、嘘だ。心の中が悲しみで一杯なのだ。
いじめている方は、その反省もその経過さえ忘れているが
いじめられている方は、そのことがネックになって明るい気持ちの時はない。
組織でいじめをおこなっている者が
組織では誉め称えられている分、
残酷と言うほかない。

いじめはいつもこうして行われ、忘れられていく。
これに果敢に立ち向かうか、やはり赤心に泣くか。
人間の弱さである。
かくいう私もどこかで人を傷つけているかも知れない。
反面
どっさり傷ついている部分がある。
人間が、一つの目的で努力し合っているときは成果が優先されて万民幸せになるが、
ゆとりが生まれ、この力に反発する力が派生すると、人は新しい勢力に吸収
される。この新勢力が正しかろうが正しくなかろうが、
そんな事はどうでもいいのである。
求心力を失うと、次のターゲットの目玉になる。
人間と言うのは本当に哀しい性を、持っていると思う。

心が悲しみで張り裂けんばかり

ある故人の写真集を見せられた。その人が生前静かで優しくて、物腰の柔らかい
本当の貴婦人であったのが、実は心が悲しみで張り裂けんばかりの
苦しみ多い貴婦人であったのをしった。

私が理解しているから、そうだと言うのではない。
または、貴婦人がいじめられて、
写真集が傷つけられてしまったのかも知れないし、私の考えは違うかも知れない。
貴婦人の写真は、その目の部分が丁寧に切り取られていた。
 赤ちゃんの時から、おそらくある時間に至るまで‥‥‥。

貴婦人の悲しみを思うか、貴婦人の写真を見る人の悲しみを思うか。
貴婦人の何を思うか ‥‥。

いじめは様々なスタイルで私たちを襲う。
人の死と同じように稲穂が風に倒れんばかりに押されているように、
その傷を癒すのは、時の流れであろうか。
己の「なにくそ」と思う回生力か超越するか、健忘するか。
人間の性が多様である分いじめはあり、悲しみもある。
しかし、基本的な部分で幸せになる必要はある。
その幸せになる部分で、
私たちはあらゆる許容力で社会を構成しなくてはならない。
18/9/18、15夜の日